荷物を片付けるため、夏の暑い日に久々に母方の祖父の家を訪ねた。
といってもその家はすでに誰も住んでおらず、私一人だけでの作業であり、無駄に広い家の為、なかなかはかどらずにいた。

中でもこの家で一番広い部屋には大きな仏壇が置いてあった。
長い間手入れをしていなかった為、埃まみれであったその仏壇を移動させなければならなかったが、あまりの汚れ具合を見かね、あまり使っていなかった雑巾で周囲を丁寧に拭いていた時だった。
仏壇と壁の間には画鋲であるとか、そのほかゴミがいくつか挟まっていたのだが、その暗い隙間から一冊のノートが挟まっているのがみてとれた。

重い仏壇を一人で抱えるのは容易ではなかったが、それでもなんとか手を入れるほどの隙間をつくり、手を伸ばしてノートを取るのだった。
かなりの年月が経っていたことがわかる。
土色に変色していたり、シワだらけであったり、どうみても丁寧にあつかったものではない。
目を引いたのはところどころ赤黒く変色した部分があることだった。
その染みは表紙だけでなく、表紙をめくった中にもある。
瞬間、これは長い年月によって変色した血液ではないのか・・・との思いがよぎった。
しかもこれは、まるで血液に浸されていたような染みのつき方であった。
ひどく不快な気分、あるいは得体の知れない気味の悪さを感じたが、興味もあり、ページをめくっていく。
中は墨で書いたと思われる、文字になりきれていない複雑な線と、意味不明な絵が書かれ、そして赤黒い染みによって塗りつぶされていた。

祖父は私が10歳の頃、亡くなっている。
祖母は90は越えたであろうが、身体も弱り、認知症もあるため、ある施設にて過ごしている。といっても、もはや歩くこともできず、寝たきりで死を待つのみ。
言葉もなく、起きているのか寝ているのかの区別も難しい程だ。
私はもはやろくに面会もしていなかった。
祖父と祖母の家は私にとってそれなりに思いではあったが、もはや祖母もこの家に戻ってこれるわけもなく、処分しなければならないということになり、それに先立って私が荷物の整理を任されたのであった。

ノートのことを母に尋ねるかどうか自問したが、このような気味の悪い物のことを親族に尋ねるのは躊躇した。
親族であるからこそ、知らないほうがいいことだってあるだろう。
おそらくまともなことを言いはしないだろう・・・そんな気がした。
話を訊けそうな人のあてはあった。
近所に面識のあるおばあさんがおり、やはり結構な高齢であったが、まだ現役で畑仕事をされており、しっかりした様子の人だ。
昔からこの土地に住んでおられ、私が子供のころはお世話になっていたものだ。
大人になった今でも会えば挨拶は必ず行っていたし、おそらく何かしら知っておられるだろう。

日は傾き、畑仕事を終えて家にもどっている頃合をみて、おばあさんの家を訪ねた。
久々に会って話をするのだが、私のこともしっかり覚えていてもらえており、祖母の近況を交え、事のいきさつを話すのだった。
ノートを見せると、やはり不気味さが先にたち、おばあさんにも心当たりはないといった様子であったが、しばらく眺めていたあとで、思い出したように話をしてくれた。
次のとおりだ。

祖父の親、つまり私の曽祖父は祖父が若い頃に両方とも亡くなっており、また、修二という弟もいた。
修二さんは生まれついての障害があり、耳が不自由であった。
当然言葉にも不自由で、それに伴って先天性か後天性かは不明だが、精神的にもおかしなところがあったという。
祖父は修二さんを一人で育てていたが、コミュニケーションが通じにくいことと、奇行が目立つようなり、目を離せず、仕事も満足に行えない生活で、じょじょに疎ましく感じていったという。
修二さんは家に軟禁状態で、自分の意思や感情を伝えようと一生懸命ノートに書き記していたという。

ある日、事件は起こる。
修二さんは当時飼っていた鶏を一匹残らず鎌で殺したあと、自身の両耳に箸をつっこみ、死に至ったという。
箸は耳を抜け、ハンマーで叩いたように、頭蓋骨を貫通し、脳まで達していた。
耳はもちろん、目、鼻といった部位からおびただしい出血があったという。
祖父の証言によって、修二さんは自殺ということで処理されることになったが、自ら望んだ自殺であったか、狂った末の自殺であったか、あるいは他殺、つまり祖父が殺したのではないかと当時近所では噂されていたという。
つまり、おばあさんの話では、このノートは修二さんのもので間違いないだろうということだった。

日がくれ、祖父の家に戻った私はこのノートをどう処理するべきか思案した。
そのうちに慣れない肉体労働の疲れが出たのか、明日でもかまわないだろうと考え、そのノートを枕元に置き、床についた。
すぐに眠りについたが、どれくらい眠ったのだろう。物音に気づき、目が覚めた。

「ガサガサ・・・カリカリ・・・」

そのような音だっただろう。何かが這うような物音だ。
そしてすぐそば、枕元でそれは聞こえるのだ。
そのあたりから生暖かな空気も感じる。
暗闇の中、ようやく目が慣れたてきたころにそれを見ることができた。
修二さんのノート、そのノートから細長い腕が一本上に向かって伸びていた。
まるで植物が自然にはえているようであり、そしてその腕は肘をまげ、畳をかきむしっている。

「ガサガサ・・・カリカリ・・・」

爪を立て、畳を掻く音であった。

「う・・・ああああああああああああああああああああ!!」

布団から飛びおきると、おそらく腰がぬけていたのであろう、立つに立てない。
転がるように部屋の隅へと逃げた。
感じたことのない恐怖でパニックになっていたが、その腕の行方を見ずにはいられなかった。
腕は先ほど私が眠っていた枕まで到達していた。
そしてそのノートからは、二つの目が覗いていた。
じょじょに、頭全体がみえると、「オオ・・・ォ・・・」

口から音にならない声が低く響く。何かが口のあたりから吐き出される。
おそらく血液だったのではないだろうか。
そのあたりで私の記憶は途切れている。気を失ったようだ。

目が覚めるとそこは身体になじんだベッド。
誰かに運ばれたのだろうか。実家に戻っていた。

「何があったの?」

母親はそこにいた。

「何が・・・って」

「何もなかった?」

そう聞いて母親の表情を伺ったが、その夜にあったことを証明する痕跡、血痕や畳を引っ掻く跡などを母親は見ていない様子であった。
そうだ、ノート・・・。

「部屋にノートはなかった?」

尋ねる。

「何もなかったわよ。連絡がないから心配で行ったら倒れているから、心配したわよ」

私は頭が混乱してきた。夢だったのか?真実なのか?
もう一度行って確認する必要がある。
疲れはあるものの身体に異常はみられない。
その日はそのまま朝まで自宅で休み、翌日に再度祖父の家に向かった。
今度は母親と一緒だった。
自分が眠っていた、そしてあまりの恐怖に気を失ったその部屋には、ノートや血痕といったものは見つけることができなかった。
布団は母親が片付けたという。
訝しく思いながらも、母親の力を借り、片づけを終えた。

それから半年あまり経って、祖母が死んだ。
寝たきりになってからは私も母親も心のどこかで覚悟はできており、それほど悲しくもなく、葬儀は祖父の家で行われた。
あの時の奇妙な経験はすっかり忘れていたのだが、祖母の死により、祖父の家に訪れたことにより、再び思い出してしまった。
ふと、ノートを見せたおばあさんのことを思い出した。
あのおばあさんにノートを見せ、相談したことすっかり忘れてしまっていた私は、おばあさんにもう一度話をして真偽を確かめたい、そう思わずにはいられなかった。
古くからの付き合いがあるおばあさんだから、もちろん葬儀に来られているだろう。
もし来られていなくても近所なのだから、訪ねてみてもいい。
そう思い姿を探したのだが、どうにも見つからない。
母親に聞いてみることにした。

「近所に畑仕事していたおばあさんがいたよね、あのおばあさん今日きてないかな?」

すると母親から聞いた言葉は驚くべきことだった。

「ああ、あのおばあさんはもう亡くなったでしょう。何年前だったかね。5年くらい前かね。葬式には出られなかったけど、確かそうよ」

私は何がなんだかわからなくなったが、続けて聴いた言葉はさらに驚くべきことだった。

「近所の人はみんな知ってるはずなんだけど、あのおばあさんは持病があって、自殺だったらしいよ。むごい死に方したらしくてね、両方の耳から箸をつっこんで死んでたらしいわ・・・」

修二さんとそのおばあさんの関係はなんであったのか、そのノートはなんであったのか、それは結局わからないままになりました。
最後に、おばあさんの家もう一度行ってみましたが、その家はすでに取り壊されていました。