これは私が東京の下北沢にある「ひかり荘」という木造二階建てのボロなアパートで体験したとても怖いお話です。

この『ひかり荘』、見た感じは汚い木の塊といった様子で、二階の窓に住人の洗濯物なんかが垂れ下がっていなければ、もう廃墟と言ってイイ感じでした。
この住人が、私の友達なんですね。
他に住んでいた人間はもう皆出てしまっていて、他の部屋は大家の物置のようになっていたようです。

この頃の私は下北沢で飲む機会が多く、よく終電を無くしてはこの友達の部屋に泊めてもらっていたんですね。
ひかり荘の二階には三つの部屋があり、友達の部屋は一番奥でした。

この部屋がまた汚くてですね・・・六畳一間なんですが、もう足の踏み場が無いくらい色んな物が散乱していて、まるで警察のガサ入れが入った後に、二度爆破されたような有様で酷いもんでした。

また隣りの部屋との境になっている木の壁があるんですが、そこに30センチ四方くらいの薄いベニア板が一枚貼りついていて「何これ?」と聞いてみると「わかんね。隣りの部屋が見えちゃうんじゃね?」とまあこの性格が、ここでの生活を「苦」としないんだろうなと思いました。

「隣りの部屋開いてるから住んじゃえば?」

ふと、飲み仲間の何人かで借りようかな・・・と、そんなアイデアが浮かびました。
友達の話によると、一階は虫が湧いていそうで住めたもんじゃない。
階段上がって二階の手前は大家の物置で、借りるなら隣りの部屋がベスト。
というかもう選択の余地は無いようでした。

ある二日酔いの朝、よくアパートの入口で顔を合わせていたここの大家であるお婆さんにこのことを相談してみると「もう来年、とり壊してマンションにするから・・・」ということで、家賃も破格。
私はすぐに契約することにしました。

ま、飲んだ後に・・・ウハハというエロな目的が、何よりも私の背中を押したんですけどね。

そんなある土曜日の夜、私は引っ越しと言うか寝るだけの荷物と、電気等をとりつける工具箱、また自分の部屋にあまっていた携帯の充電器なんかを「ひかり荘」に運びました。

壁にかけるタイプの時計も持ってきていて、引っ掛けるものとしては長い釘しか無かったんですが、私は遠慮なくそれを壁に打ち付けて飾り、時刻を見ると夜の11時過ぎでした。

煙草を吸って、さて飲みに出るか・・・などと思っていたところ、隣りの部屋の友達から着信がありました。
電話に出ると、何かガサガサとしていて何を喋ってるかよく分からないんです。
何か声を押し殺しているような感じで、「どうした?」と聞くと「・・・いま部屋でさ・・変な音が聞こえてるんだけど・・・」と、何か怖がっているような様子でした。

今日、私が来ることは伝えていなかったので、今さっき打った釘の音かな?と思って笑ったのですが・・・。

「・・・キサマ・・・キサマ・・・って聞こえる・・・何だろ・・・」

私は、はぁ?と思いました。
こいつ、私が隣りにいるのを知っていて、驚かそうとしているのかとも思ったんです。
いや、でもそれにしても演技に迫力が有りすぎる・・・。

泣きそうな声なんです。

「・・・怖ぇよ・・・どうしよう・・・布団から出れない・・・あと何?他にも聞こえる声・・・」

私は、友達の部屋の方の壁に、耳をあててみました。
すると何人かの男性が太い声で唱える「念仏」のような音が聞こえて来たんです。

いや、明らかにそれは念仏でした。

携帯に耳をあてなおすと「・・・近づいてくる・・・なんか近づいてくる・・・」

友達の部屋の中の念仏はだんだんと大きくなって、私は隣りに飛び込む前に「オイ!大丈夫か!!」と、壁を思いっきりダン!ダン!と叩きました

すると、すぐに『ダン!ダン!ダン!』と壁を叩き返されたんです

あれ?・・・と思ったら、電話口では友達が「ごめん、テレビの音だったかも。ビックリした?(笑)」って。

私は、驚かせんじゃねえよバカヤローー・・・って感じでした。

その後、友達は「ごめん、明日土産買って帰るよ」と。

え?
お前、今どこ??

「実家、福岡だよ」

その時、また隣から叩かれました。

ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダンダン!!!ダン!ダン!ダダン!ダン!ダンダンダンダン!!ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダンダン!!!ダン!ダン!ダダン!ダン!ダンダンダンダン!!

物凄い数の手が壁のあちこちから叩き返して来るんです。
友達の部屋、誰もいない部屋から・・・。

その激しい振動で壁にかけた時計もガシャンと床に落ちました。

ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダンダン!!!ダン!ダン!ダダン!ダン!ダンダンダンダン!

私は、ただ、ただ、叩き返される壁を見つめて凍りついていました・・・。

すると、『ピタ・・・』と、その音が止まると自分の心臓の音だけが耳の中で激しく鳴っていました。
とにかく体が動かなくて、立ちすくんだまま、携帯をギュっと強く握りしめていました。
自分の手が痛いくらい強く。

そうすることを止められないんです。
とにかく強く握っていました。
すると、また再び・・・。

ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダンダン!!!ダン!ダン!ダダン!ダン!ダンダンダンダン!!

今度は・・・部屋のドアです。

ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダンダン!!!ダン!ダン!ダダン!ダン!ダンダンダンダン!!ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダンダン!!!ダン!ダン!ダダン!ダン!ダンダンダンダン!!

「『キサマ!!貴様ァァァァァ!!キサマ!貴様ァァァァァ!!キサマ!』」

その声が聞こえた瞬間、私は「逃げよう・・・」と慌てて部屋の窓に走り、飛び降りようとして窓から顔を出すと友達の部屋の窓からも何人かの男が顔を出していて目が合いました。

私は、飛び降りたというか、下に、落ちました。

落ちた場所はアパートとブロック壁の物凄い狭い隙間で、挟まれてうまく身動きがとれなく、そこへ、窓から覗いていた「男」が降りて来ました。

私はもう涙目で両側の壁に挟まれながらも必死に、まるで蟹のようにズルズルと、なんとか動きながら壁づたいに先に進みました。

すぐ後ろからは、降りて来た男の「念仏」を唱える声が聞こえ始め、振り返ると、その男は私より遥かに体格が良いのに壁に挟まれる様子もなく、私に対して真正面を向き、そして私の方にゆっくりとすすんで来るんです。

「人間では、無い!!!」

そう感じました・・・。

私は二度と振り返らないようにして、胸と背中を両壁に擦りつけながら、ひたすら先に進みました。
その隙間には蜘蛛の巣が何層もあって、それを顔や身体で破りながら先を見ると突き当たりを右に進めるのが分かりました。

右に行くと、少し広くなってる・・・あともう少し・・・。
念仏を唱える声は、もう私のすぐ耳元まで来ていました。

この時、機械のような声が聞こえてきました・・・。

「・・・モシモシ。モシモシ・・・!」

それは握りしめていた携帯からで、まだ通話途中だったんです。

その携帯を、真っ黒な手にギュッ!!!と掴まれました。

私はもう半狂乱で、その手を振りほどくようにしながら突き当たりに着くと右側の少し広くなった場所に倒れ込みました。
左足の骨が折れているようで立ち上がろうとすると足に激痛が走り、それでも何とか立とうと地面を這いながらもがいていると、目の前に「井戸」がありました。
その井戸で先は行き止まりになっていました・・・。

ゆっくり、振り返ると、男は曲がり角の辺りで私を凝視したままボーッと立っていて、それ以上はこちらに近づけないかのようでした。

真っ黒に焦げた感じのベタッとした顔で、眼だけが浮き出るように一つか二つこびりつき、ところどころ焼け焦げたような白装束姿でジッと私を見つめていて・・・。

だんだん、男の後ろにある壁が透けたように見えたかと思うと、念仏の声と共にスー・・・っと消えて、何も見えなくなりました。

私はもう、気を失いそうになったのですが、足の激痛がなんとか私の意識をハッキリとさせていました。
井戸に捕まってなんとか立ち上がるとそれを囲むようにして作られた木の柵には、沢山の「お札」が貼られていて、また、そこに立てかけてあるホウキやチリトリが目に入り、行き止まりの暗闇には小さなドアが見えて来ました。

「・・・モシモシ!!オイ!」

私が、とりあえず「ああ・・・」と答えると「・・・ヤッパ、キコエル!ナンカ・・・声が!!」

私は、とにかくそこから逃げろと伝えました。

後日分かったことが三つありました。
この「ひかり荘」ではその昔気のふれたような宗教団体(といっても六人)が二階の三部屋を借り切っていて、六人全員が斜め向かいにあるスポーツジムの駐車場で、焼身自殺を計り五人が亡くなり一人は消息不明であること。

その団体が書き崇めていた「本尊」のような狂った書き物が友達の部屋の壁に貼られたベニア板の中から出て来て、私がそれを内側から釘で打ち抜きそうになっていたこと。

友達が実家の風呂で痙攣し倒れている所を家族に発見されたこと。

私達はお祓いをしもちろん「ひかり荘」からはすぐに出ました。
あそこに居たモノが鎮まっているのかは全くわかりませんが、その後の私達はとりあえず大丈夫です。

私が釘なんか打たなきゃそれで良かったのかな・・・。