釣り好きの叔父さんから聞いた話

叔父さんは紀伊半島によく渓流釣りに行っていた。
その日も林道から3時間程上流に登ったところにある穴場に行った。
途中10メートルくらい落差のある滝なんかも登る。

穴場はシーズン中いつも入れ食い状態らしいが、その日は一匹も釣れない。
諦めかけた時一匹の大物がかかった。
50cmはあろうかというイワナだった。

叔父さんは大喜びしたのもつかの間、イワナの体を見てびっくりした。

体がぐにゃりと曲がっていた。
奇形は良く釣り上げるが、こんなにひどいのは初めてだった。
こんな体でここまで大きくなったのに、殺してしまうのはかわいそうだとイワナをそっと逃がしてあげた。

「あれはキリクチやった、きっと主やな」

紀伊半島だけに棲むイワナで絶滅寸前らしい。

だいぶ薄暗くなってきたので、その日の成果は諦め沢を降る。
来がけの難所である滝まで来たとき、もう辺りは薄暗くなっていた。
叔父さんは大きな岩に持っていたロープを回し崖を降りはじめた。

普段そんなことはぜず、慎重に足場を探しながらゆっくりと降りるらしい。
懐中電灯の類を持ってきていなかった叔父さんは、こんなところで一晩過すのはまっぴらだと横着した。
下まであと3~4メートルというところで、引っ掛けていたロープが外れたらしく落下。

ゴツゴツとした岩場に着地し足に激痛が走る。
あまりの痛さに、これは間違いなく骨折してると思った。

周りに落ちている枝切れで足を固定し、なんとか川を降りようとしたが、真っ暗な中、しかも片足では大して進むこともできず、諦めて川岸に座り込んだ。

睡魔か空腹か骨折の痛みのせいか、意識がもうろうとしている中、何かが叔父さんのすぐ近くにいることに気付いた。

『フンフンフンフゴーフンフンフゴー』

それはしきりに叔父さんの臭いを嗅ぎまわっていた。
牧場の牛を臭いを更に酷くしたような獣の臭いが鼻をつく。

「クマや!死んだふりしてもあかん!」

そう思ったが、体を動かすことも目を開けることもできなかった。
しばらくその獣は叔父さんの周りを回っていたが、突然足をぐいっと持ち上げられたかと思うと、ゴツゴツした川原を引きずられだした。

体中を岩に何度も打ちつけられ、この後自分が食べられることが分かっていながらも、「痛いがな、もうちょっと優しくしてくれ」などと思っていたところで記憶がなくなった。

気がつくと夜は明けていて、川原に寝転がっていた。
辺りを見回すと、そこは車を止めた林道のすぐ脇だった。
相変わらず激痛が走る足を引きずり、叔父さんは自力で車を運転して病院に行った。

そんな体験談を聞いて「クマに助けられた?」と尋ねた。

「あれはクマやない、クマやったら引きずられてるとき横か上におるやろ」

四本足で歩く熊が人を咥えて引きずる姿を想像してみる。

確かに体が邪魔になる。
下手したら踏みつけられるかも。

じゃあ何?と不思議がってる俺に叔父さんは言った。

「牛鬼や」

「ええ?昔話の?あれ人を襲って食べるんじゃなかったか?」と、信じられないという問いかけに「キリクチ助けたやろ?せやから助かった。あれ捕まえとったら多分わしも食べられてたわ」

叔父さんが言うには、川の主であるイワナに温情をかけ食べずに逃がしてあげたので、牛鬼は叔父さんを食べずに助けてくれたとのこと。

それ以来叔父さんはイワナを釣り上げても逃がすようにしているらしい。
「キャッチアンドリリースや、アマゴは食べるけどな」そう言って豪快に笑った。