某都市郊外のマンモスマンションに姉妹が暮らしていた。
だがその暮らしぶりを詳しく知るものはいなかった。
それほどに姉妹はひっそりとしており、姉の白髪を見ればどれほど長い間この二人はこのような暮らしを続けてきたのだろうと思わせるような深い目をしていたらしく、それは他人の詮索をためらわさせ、また、会話を持ちかけてくることもなかった。

妹は身体障害者だったという。
外出できないためか姿を見た話も聞こえてこないので寝たきりではないか?と、これも噂されていた。

管理人は「はじめから住んでいらっしゃった」と言う。
なんでもここの土地の一画の持ち主だったとのことで、売った金と給付金でもう長いことずっと暮らしていましたよ。

長雨の降る6月に姉は買い物に出かけ、帰らぬ人となった。
踏み切りから抜け出せずの轢死だった。

100mほど先で停まった電車まで数本のさらしが飛んだと証言する人もいた。

その日のうちに姉の身元が判りマンションへ連絡がいくが妹は角部屋の割に暗い部屋のなかで布団の上へ正座しておりぼうっとした白い顔のまま「わからない、聞きたくない」と呟くばかりだったという。

そこで一旦、妹は養護施設に引き取られることとなる。

「わからない」

「聞きたくない」

「おねえちゃん」

呟くばかりで、見る間に衰弱していく様がわかるほどだった。

また「足がもれる、もれる(?)」と叫んではベッドから落ちて床にうずくまっていることもあった。
その白い腿より下部からは無数の引っかき傷があり、あまりにも治癒を重ねたためか黒くひび割れた脛が、病んだ歳月を物語っていたという。

妹の症状は右足に軽い麻痺をもつ程度でありすぐに一旦の帰宅を施設員同伴で許されたが、高所にある自分の部屋に近づくほどに、激しく何かを拒絶する様子だった。

目が充血したかと思うと涙をぽつりぽつりと落とし、ついに玄関まで着いた頃には嗚咽のない不思議な号泣に変わっていた、担当した施設員はそう言う。

「困った、可哀想だ」

そう思いながらも、これはなだめなければいけない。

しかし通路では場所も場所なので、と半身になりながらポケットから出した部屋の鍵でドアを開錠し、ノブに左手をかけると「・・・えちゃん・・・」という声を妹はだした。
施設員はぞくりとしたが、すぐにドアを開けるとともに、右手で妹の手を引っ張った。

ぐにゃりとしたその手は震えており、まるで、細い生魚でも掴んだかのようだったという。
開けた部屋の、暗い光を吐き出してくるような湿気を、いまだに忘れられないとも。

施設員がぐっと気持ちをこらえて妹を引っ張ったまま敷居をまたごうとすると、「・・・ぇじゃあああんッ・・・!!」という咆え声とともにその妹の手首がばちんと爆ぜた、ように感じたという。

ぎょっとして反射的に振り返ると、両肩までもぶるぶると痙攣させた妹が、ベランダの手摺りを越えてしまっていた。

自殺現場であったこのマンモスマンションにはダストシュートがあり、姉妹の暮らしていた角部屋に隣接していた。

雨が明けて、熱い日差しが照る頃、いつも住民は思い出したという。
30mはあるかと思われるその高い壁面へ染込んだ雨水が乾ききる最後の瞬間の皹が「オネエチャン」という文字を成すからだ。