昔住んでいた家の話。
あの家には、他にもいろいろへんなことがあった。
叔父夫婦がうちに泊まりに来たときもそう。

家族はみんな二階で寝るため、叔父夫婦には一階の居間の奥にある和室(仏間)に寝てもらうことにした。
しかし、当時小学生だったいとこのKちゃんがどうしてもそこで寝るのはいやだと言い出した。
白髪の老婆が、和室のすみっこに座り込んでるというのだ。

叔父達には話さなかったが、私達家族の中ではこの和室のことを「開かずの間」と言っていた。
さして広い家でもない生活空間の中にあるのだから、完全に封印された「開かずの間」であるわけはないのだが、家族のだれも、その部屋でひとりっきりになろうとはしない。
何かを見たわけではないが、なぜだか居心地が悪く、気味が悪いのだ。

仏壇にお供えしてある左側の花だけがいつも翌日にはしおれてしまうという現象があるからかもしれない。
仏壇には右側にしか花をお供えしなくなり、客用のふとんとか、衣替えの衣装ケースをしまうだけの
「開かずの間」と言うようになったわけだ。

叔父たちが泊まりに来る以前に、父が会社の部下を連れてきて泊まらせたことがあった。
その彼は底抜けに陽気な人で、武道有段者ということもあり、
父が、彼ならまぁいいだろうと、その和室に寝かせたのだ。
家族のだれもが、その部屋で寝た経験がなかったため、彼に何が起こるのか、翌日の朝はみんな彼の顔色に注目していた。

父がさりげなく「よく眠れたか?」と聞くと、かれは満面の笑顔で「気持ちよく眠れましたぁ。やっぱいいですよ。干したばっかりのふとんって。」
そう言いながら、実においしそうに朝食を食べ始めた。

彼の屈託のないその態度に、私はなかばがっかりし、そして安心したのだが。
残念ながら叔父達には、このケースは当てはまらなかったようだ。

Kちゃんがいやがるので、不安を感じた母が、私を妹の部屋に移動させ、私の部屋を叔父夫婦に提供したらどうかと提案した。
しかし、叔母は大丈夫だという。
叔父のほうは、むしろおもしろがっている風にも見えた。

あの彼のときも何も起こらなかったんだし、そんなに心配する必要もないだろうという父の意見で、Kちゃんは妹の部屋で、叔父夫婦は和室で、ダブルサイズの布団を敷いて二人で寝てもらうことになった。

翌朝、早く目が覚めてしまった私はお茶を飲もうと階段を下りてキッチンにいった。
そこには、寝不足のうえ、疲れ果てた様子の叔父と、叔父の話に聞き入っていた父と母がいた。
両親は、私が叔父の話を聞くのをためらっていた様子だったが、あっちに行けとは言われなかった。
以下、叔父の話である。

奇妙な物音で目が覚めた。
部屋中が異様な雰囲気に包まれ、重い空気に体が押さえつけられている感じだった。

「動いてはいけない!」

心の中のなにかがそう叫ぶ。
寝起きの、寝ぼけて混乱しがちの頭を必死に覚醒させながら身じろぎしないまま、聞こえ続けている音の原因を考えた。
考えると同時に、すぐに理解した。

だれかが、自分達のふとんのまわりをぐるぐると歩いてる・・・。
いや、歩いているんじゃない。
はいずりまわってる!

・・・と。

それは俺が気がついたことに気づいたようだった。
ふとんの足元まで這っていったかとおもうと、いきなり、ふとんの上から俺の足にのしかかってきたのだ。
驚いて思わず、首だけあげて足元を見た。
そこには、白髪の髪を振り乱し、俺の足に覆いかぶさってじっと睨み付ける老婆がいた。

激しい憎悪で髪がそそけだち、目を吊り上げ身を震わせていた。
そんな風に見えた。
細い枯れ枝のような、乾ききった皮膚の手は、ふとんの上から俺の足を握り締めようとしているようだった。

「このままこのばあさんが、ずりずり顔のほうへ這い上がってきたら・・・俺は間違いなく死んじまう!心臓発作おこしてまう!!」

そう思ったとき・・・ばあさんが笑った。
憎悪の目の色はそのままに、口元を醜く歪め、「ケケケ・・・」と。
首を前後左右、くねくねと動かしながら笑いつづける。

そしてその声はだんだん大きくなり、しまいには洞窟を思わせるような口の中の闇を見せながら「ぎゃーーはははははははは」と笑い出した。

その声は目の前のばあさんの笑い声なのに、地下からわいてきて部屋中を揺るがすような、ものすごい音量だった。
実際、敷布団からびりびりと音が響く振動を感じていた。

ばあさんは笑いつづける。
高く、低く・・・。

ばあさんの笑う声が最高潮に達した時、頭の中で「ピキーン」と音がした。
と、同時に金縛り状態になった。
体が動かない。
声がでない。

しかし、俺の右腕だけが別の意識をもつ生き物になったかのようにスルスルと、左側に寝ていた女房めがけて伸びていく。
右手がなにをするつもりなのか、まったくわからなかった。
女房の首をつかみ、ソロソロと力を加えていく。
あせった。
助けようにも体が動かない。

声にならない声で「起きろっ!逃げろっ!」と叫んでみたが、眉間にシワを寄せ、苦しげに「うぅ・・・」と言うだけで起きる様子がない。

このままじゃ殺しちまう・・・。
俺は、文字通り汗を振り絞って、左手を動かし、自分の右手首をつかみ、女房の首からはずそうと奮闘した。
右手はものすごい力で、左手と力比べをしている。
まさか自分の右手と格闘することになるなんて!

右手は、ばあさんの笑い声に反応していた。
ばあさんの笑い声が遠くなっていくと、力を弱め俺のもとに戻ってくるが、再び甲高く笑い出すと、猛烈な力で女房の首をめがけていく。
俺が汗をたらして格闘している姿を、ばあさんはじっと眺めていたに違いない。

何度それを繰り返しただろう。
時間の感覚なんて持てるわけがない。
右手を押しとどめる左手は、もう限界だった。
しかし容赦なく、ばあさんの笑い声がひときわでかく響き渡る。
右手は、トドメだといわんばかりに女房に飛びつく。
俺は渾身の気力を振り絞って、右手首をひっぱった。

・・・その瞬間。

ふいに俺の足にのしかかっている重みが消え、金縛りが解けた。
響き渡っていた禍々しい笑い声の余韻すらない。
あれだけ異様な雰囲気が、瞬間で、明け方のさわやかな
冷たさを含んだ静けさに変わっている。
まるで、瞬間移動で別の部屋に来たみたいだ。

夢?
いやちがう。

左手は現に、うまくグーが握れないほど握力を使い切ってるし、腕がだるい。
右手はさっきまで捕まれていたところが赤くなってて、爪の跡まで食い込んでる。

・・・・・・・・。
いや、やめよう。

この空間で、しかも一人で、さっきのことを反芻する勇気がない。
汗でぐしょぐしょのシャツを変えなきゃ。
そうだ、兄貴を起そう。

起きている人の顔がみたい。
話をして落ち着きたい。
女房の口元に耳を寄せ、息をしていることを確認して、兄貴を起こしに行ったんだ・・・。

以来、我が家はだれが泊まりに来てもあの部屋は使わなかった。
居間を片付けて寝てもらうか、私の部屋が客間になった。
父は、私の体験、そして叔父の体験を聞き、この家を手放そうと思ったらしい。
他にも変なことはいっぱい家の中で起こっていたのに「今ごろかよっ!」と正直私は思った。

叔父の体験から一年後、私達は引っ越した。