うちのおかんの話。
当時おかんは、6人兄弟(男3女3)の長男の嫁として嫁いできたんだわ。
長男の弟妹はまだみんな学生で、いわば小姑的存在。
かなりの貧乏で、姑とお舅(おしゅうと)との折り合いも悪く、とくにお舅は「パチンコ代がないから子供の学費をよこせ」っていう無茶苦茶な人で、旦那(つまりおれの親)の庇(かば)いたても一切ない。
むしろ一緒になっていびられた。

畑仕事で毎日こき使われ、姑と旦那が悪口を言い触らしてくれているので、近所や旦那の親戚周りの評価といえば奴隷かなにか。
嘲笑の的だ。

味方もなく金もない。
毎日が針のむしろだったおかんはある日、赤子(おれは三人兄弟の三番目)のおれを抱いて自殺を決意したそうな。

家を抜け出して、春の夜中にとぼとぼとぼとぼ歩き続けて、いつのまにか地域では有名な古い桜の木の下へ。
これが見事な桜でね、盆栽の松のような見事な枝ぶりで、住人の思い出や記念の場所として、とても愛された木だったんだよ。
んで、おかんも事あるごとに、その桜のある場所に行ってたらしいわ。
その桜がまた満開でね、月明かりに桜がはらはら散るんだよ。

街灯のない時代に、その桜の白い花びらがぼんやり見えるのがまた綺麗で、「もうこれで見納めやなぁ。あんたにどれだけ慰められたか・・・今までありがとう」って泣きながら桜に話しかけたら、ふと背後から「こんばんわ」と。

振り向いたら、笑顔いっぱいの四角い顔したおじいさんがいたそうな。
真夜中。
おかんの手には赤ん坊。
懐中電灯も持っていないおっさんが暗がりで笑顔。

普通だったら恐怖だよ、女だし。
これから自殺するってのに変だけど。

けど、不思議と恐怖っていう感情がわかなかったそうな。
んで、その見知らぬおっさんに「子供が風邪引くわ、はよ帰り」って言われて、腕の中見て帰らなきゃと思ったらしい。

心中しようとした人間が、これから殺す子の風邪くらいって思うだろ?
おっさんの肩を横切ったところで、振り返ったら、笑顔のおっさんがいないの。
桜の木があるだけ。

ちなみに、おっさんは死んだ曽祖父(写真が飾ってある)でもなけりゃ、地域住人でもない。
今はその桜の木も、住人の反対の声も空しく工事の関係で切られたけど・・・。
桜の精っていうのかな?
あるんだな、こういうの・・・。

おかげでおれ生きてるし。
以上、おかんの昔話でした。