昔に聞いた話。
というか言い伝えみたいな。
結構有名なんで皆知ってるかも。

昔、越前の国(福井県)の福井の城下町を一人のお婆さんが提灯(ょうちん)を持って歩いていた。

お婆さんは昔奉公していた侍の家に久しぶりに行った帰り道だった。
月の無い晩で、人っ子一人通らない城下町を一人で歩いていたそうだ。
北の国の春は遅く、寒さからお婆さんは襟をかき合わせた。

そのときだった。
お婆さんは九十九橋辺りで青白い松明の火のようなものを見た。
その火はどんどん灯ってゆき、とうとう橋いっぱいの青白い火になった。
動かない火や、動き回る火など色々あった。
お婆さんはビックリして、その火を見つめていた。

突然、その火がパッと消えて辺りは元の通りの闇に戻った。
そして、その暗闇の中を白い霧のように橋の上から流れて来るものがある。
しかしそれは霧ではなく『人』だった。
白い鎧をつけ、白い弓等を持ち、取り分け大きく見えるのが馬に乗った武者だ。
白いのぼり旗を靡かせ、粛々と進んでいる・・・。
唯、その行列には首が無い・・・。
人にも・・・。
馬にも・・・。

首なし行列はお婆さんの居る方向に向かってやって来るのだ!

お婆さんは、冷水を桶一杯にかけられたようにゾッとした。

お婆さん:『あぁ・・迂闊(うかつ)だった』

今夜は四月の二十四日と言う恐ろしい日であったと気がついた。

昔の暦の二十四日は月が出ない。
それなのにこの夜、福井の城の鳩の門の枡形(ますがた)に月が映るという。
枡形の広場の土の上に月が映るという。
見た者は死ぬという言い伝えがある。
※【枡形(ますがた】:城の一の門と二の門との間にある方形の広場。

そもそも、四月二十四日とはどういう日なのか?
単刀直入に言うと、北の庄の城で『柴田勝家』という殿様が切腹した日だ。
城は炎に包まれ、家来達も腹を切り、或いは敵に討たれて死んでいった日だ。
天正十五年四月二十四日の日だった。

攻めたのは有名な『豊臣秀吉』)。
農民から身を起こした彼に勝家は負けた。
どんなに無念だっただろう。
死んでも死に切れなかっただろう。
くる年もくる年も四月二十四日が来て、亡霊は墓から起き上がった。
青白い灯が一つ一つ増えていき、フッと消えた時に動き出す。

福井生まれの福井育ちで如何してこの日にうっかり出歩いたのだろう・・・。
どの家も戸を閉め切って息を殺していると言うのに・・・。
お婆さんは悔やんだ。

お婆さんはガタガタと震えながら、提灯の火をフッと消した。
このまま逃げても辺りに横丁は無い。
逃げ出せば首なし行列に追われる・・。
ならば、後ろを向いて、見ないように、見られないようにやり過ごす他仕方が無い。

お婆さんは道に背を向け、よその家の軒下にかがみ込んで確りと目を瞑った。
足音は次第に近づいてゆき、やがて後ろを通り過ぎていく。
静かに人の歩く音、馬の歩く音、鎧がかすれる音が鳴ってゆく。
息の詰まるような長い時間だった。

ようやく、しんとした。

お婆さんは暗闇を這うようにして、家に帰った。
そして、帰ったなり布団を被って寝てしまった。

次の朝・・。
余りにもお婆さんの顔色が悪いので、心配した息子が如何したのかと尋ね始めた。
始めはお婆さんはずっと黙っていた。

たとえ行列を見ても決して見たことを言ってはダメだ。
言ったら血を吐いて死ぬ。
小さい頃からそう教えられてきた。
だから言わなかった。

言うまい、そう思っていたのにお婆さんの口は勝手に動いてしまった。
とうとう言ってしまった・・。
お婆さんは体の力が抜けお婆さんは死を覚悟した。
だが・・、お婆さんは死ななかった。
家中が胸を撫で下ろし、神様や仏様に感謝した。

しかし・・次の年の四月二十四日・・・。

お婆さんは家をフラリと出たままそのまま家に帰らなかったそうだ・・・。