毎年、降誕会の辺り(4月8日)に北国海路に吹きすさぶ強い風をとうせん坊風と呼ぶが、これは岩手県花巻地方にある高松寺に縁があると(伝説上では)言われている。
※『降誕会(かんぶつえ)』釈迦の誕生を祝う仏教行事。

昔、この寺に宗元というろくでなしの外道坊主がいたらしい。
この坊主がある日、「我に大力を授け給え」と祈ると、霊験があったらしく、口の中に玉が入るというまことに不思議な夢を見た。
その日から、宗元は怪力を得てしまった。

仏様の願い通り、この力を怪力を世のため人のために使えばいいものを、この宗元は性の悪い悪戯に使うようになり、ついには「鬼宗元」と言われて嫌われるようになった。

春、宗元が近くの町にある高水寺に花見に行くと、桜の老木が今を盛りと花をつけていた。
宗元はこれで悪戯してやろうと、怪力でこの巨木を捻じ曲げ、自分はその幹に腰を下ろし、何食わぬ顔をして人々が集まってくるのを待った。

童や女がこの花を不思議に思って寄って来た瞬間、宗元がひょいと腰を上げると、この桜の木は物凄い勢いで跳ね返り、それで何十人もの死人が出てしまった。

こんな悪事を働いてさすがにここにいられるわけがなく、宗元はこの地を逃げ出し、能登の動石(いするぎ)山に隠れ、「とうせん坊」と名を改めた。

ところがここでも悪行を重ねまくった宗元は、この地からも逃げ出し、越前の三国の浦に逃れた。
しかし、ここでも宗元の悪行は収まらず、それどころかますます外道っぷりを極めるようになってしまい、この地の人々は非常に苦しめられた。

「もはやこの鬼を生かしてはおけぬ」と、この浦の人々は決意し、卯月の八日、花見だと偽って、宗元をある断崖絶壁に呼び寄せた。

何も知らぬ宗元が策に嵌って泥酔し、足腰が立たなくなったところで、決死隊の若者四人が飛び出し、自らを道連れにして宗元を崖下へと突き落とし、ついに討ち果たすことに成功した。

しかし、この宗元はどこまで外道なのか、死んでなお執念深く海の怪異となって生き続け、時化を狂わせるようになり、今に恐れられるとうせん坊風となったのである。

この宗元が突き落とされ、若者四人が死んだ断崖絶壁が、自殺の名所と世に名高い福井県坂井市の東尋坊の絶壁だということである。