ついこの間までお盆の行事だと思いこんでた実家の風習を書いてみる。
実家と言うか、正確には母方祖母の実家の風習だけど。

母方祖母の田舎は山奥で、大昔は水不足で苦労した土地らしい。

それを地元の豪農の人が、私財をなげうってため池や用水路を作り、田んぼで米が作れるようになったそうだ。
でもこの用水路を造るにあたって、殿様というか藩?からなかなか許可が下りず、豪農の母親が自分の命と引き換えに嘆願した・・・みたいな話を、おばあちゃんから聞いたことがある。
ウロ覚えでごめん。

ここまでが前置き。

んでおばあちゃんの地元というか、おばあちゃんの家をはじめとする隣近所の数軒の家では、お盆の頃になると川べりのある場所でたき火を一晩中燃やし、その火の見張り番に最低でも二人の人間がつく、みたいなことをやっていた。

時期もちょうどお盆の頃だし、普通に迎え火もしくは送り火だと思ってたけど、実は違ってた。

高校生の頃一度だけ自分も火番をしたことがあるんだけど、この火は『ノウケン様』に『ちゃんと用水路を造るための測量をしています』と知らせるためのものらしい。

おばあちゃんや親戚の話を総合すると、どうも『ノウケン様』っていうのは、『用水路を作るよう殿様に嘆願した豪農の母親』らしいんだけど・・・。

そもそもは用水路が出来た当時、真夜中に土手に不審な灯りが灯るので、村人が見に行ったら、豪農の母親の幽霊が提灯をともしてたとか。
なので彼女に代わって火を灯すことにしたらしい。

夏の頃に何日間かそうやって火をともせば、ノウケン様が出ることはない、らしい。
でも時々、予想外のタイミングで不審な灯りが出るそうだ。
一人で火を焚くと、一緒に連れていかれるという話も聞いた。

実際、大正生まれのおばあちゃんが子供の頃、一人で火番をして川に落ちて死んだ男衆がいたそうだ。

まあ、おばあちゃんいわく「エンコウも出る」そうなので、そっちにひっぱられたのかもしれないとのことだけど。

高校の時、一緒に火番をした親戚のおじさんが用を足しに離れた時、ふと気がつくと、数メートル離れた暗がりに、半分透き通った時代劇で見るような野良着の腰から下だけが見えたのが怖かった。

おじさんが戻ってきた時に「なんかいた!」と訴えたら、「あーごめんなーやっぱり出たか」って言われた。

それ以来、不思議体験はないけど火番はおばあちゃんの田舎で今でもやってる。