これは、私が高校一年生の時に体験した出来事です。

高校受験当日、40℃を超える高熱を出した私は公立の高校試験を受けることが出来ず、塾の先生の推薦で私立の高校に行くことになりました。
そこで、私は一生の恩師とも言える方と出逢ったのです。

その先生は、私達のクラスの英語の担当で、隣のクラスの担任でもありました。
いつも、常にきっちりとお化粧をし、品の良いスーツを着た働く女性の見本のような明るく竹を割ったような性格の方で、宿題忘れ等はしっかりとしかりつけますが、生徒の努力もしっかりと認め、誉める方でした。

彼女のお陰で私は英語がとても好きになり、英語を生かした仕事をしたいと考えるようになったのです。
厳しくも愛情に溢れた先生の指導のお陰で、私は高校生活を楽しむことが出来ました。

それから部活にも入り、友人にも恵まれ、楽しい高校生活を楽しんでいたある日、私達の学校にも文化祭のシーズンが訪れました。

うちの高校は文化祭にとても力を入れている学校で、全クラスで文化祭に行う催しの内容を競いあい、優勝したクラスは特別に褒賞金が貰えるという制度があったのです。
当然、優勝を掴みとる為、私のクラスも先生のクラスも燃え上がりました。

私達のクラスは女性のお客さんやカップルのお客さんを多く集める為、『占いカフェ』をすることになりました。
ドリンクやスイーツ等を一品注文して貰えたら、必ず占いがついてくる、そんな内容です。

そして占い役やウェイター、ウエイトレス役は午前班と午後班にわかれ、交互に文化祭を楽しむことになりました。

私はタロット占いの役で午後班でした。
なので、午後中は存分に文化祭を楽しみ、午後はクラスのお店に戻り、占いをしていました。
そこに、あの英語の先生が私の担任と共に現れたのです。
二人は占って欲しいと私に言いました。

私は仕事であることもあり、快く二人の依頼を引き受けました。
担任は恋愛運を、英語の先生は一年間の運勢を。

担任の恋愛運を占い終わり、英語の先生の運勢を占おうとした時、混ぜていたカードとカードがぶつかり、ある一枚のカードが床に落ちたのです。

死神。
死を告げる、余りに不吉なカードでした。

私「ごめんなさい!」

私は慌ててカードを混ぜると、きり、すぐに机に列べ始めました。
そして、一枚目を捲ると・・・また死神が・・・。

カードを持つ手が震え、冷や汗で冷たくなるのを感じました。

これは、偶然・・・?

2回も続けて同じカードが果たして出るものなのか?
確率としてはあり得ますが、その時の私はなぜか偶然ではないと・・・嫌な予感がしていました。

私「先生、ごめんなさい!」

そして何より大好きな先生に嫌な思いをさせてしまった罪悪感。
それが私の心に重くのし掛かりました。

先生「大丈夫よ」

先生は何時ものように穏やかに微笑み、許してくれたのです。

私「済みません!ありがとうございます!!」

優しい先生の微笑みに安堵した私ですが、その数日後から、先生の様子がおかしくなったのです。

あの明るかった表情には疲れが滲み、頬はじょじょに痩せ、授業中もよく生徒を怒鳴りつけ、日に日に不安定になっていく様子は、以前の先生とは全く異なり私達は不安を覚えました。

先生に、何かあったのではないか?

そして、ある時から先生は全く学校に来なくなってしまいました。
隣のクラスの担任も、いつの間にか別の先生に代わっていました。
私達も最初は突然のことに戸惑い、クラスにも様々な噂が飛び交っていましたが、それもじょじょに日々の生活に流され、私達の記憶からは忘れ去られていきました。

悲しいことに、私も、あれだけ好きだった先生のことを忘れていたのです。
そして、数ヶ月経ったある日・・・その日は突然にやって来ました。

先生の訃報。
死因は病死でした。

先生は末期の癌だったのです。

しかし、痛みを堪えて、いつも笑顔を絶やさず私達を指導してくれていたのでした。
勿論、私はお葬式に行くつもりでした。
先生のお葬式の前日、私は家が遠距離だったこともあり、先生の担任のクラスで学級委員をしていた友人の家に泊めて貰うことになりました。
そして、友人の家で先生を偲び、先生の思い出を語りながら友人と過ごしました。

その夜のことです。
語り疲れた私と友人が部屋で寝ていると「コツン、コツン」と、窓に小石か何かがぶつかるような音がしたのです。

何だろう・・・?

小さいけれど、やけにはっきりとしたその音に、私と友人は目を覚まし、寝ぼけ眼を擦りながら部屋を見回してみました。

「コツン、コツン、コツン」

今度は先程より大きく、はっきりと。

私「何の音だろう・・・?」

友達「猫、かな・・?」

コツン!コツン!コツン!

私「な、何?!絶対猫じゃないって!」

友達「やだ、なんか怖い!」

その内、小石をぶつけるような音は段々と大きく、多くなり「コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!コツン!」

友達「絶対おかしいよ!!お父さんとお母さん呼んでくる!!」

恐怖に怯えた友達はドアに向かって走りだしました。

しかし、「なんでっ?!なんで開かないの!!」

ドアはまるでコンクリートで塗りかためられてしまったかのようにびくとも動かなかったのです。
私達が二人でノブを引っ張っても、ノブだけはガチャガチャと動きますが、ドアはぴくりともしませんでした。

友達「もうやだぁ・・・」

へたりこむ私と友人。
そこで不意に気付いたのです。

先程まで、「コツンコツン」と五月蝿い位に鳴っていたあの音が一切聞こえなくなっていることに。

・・・助かった、の・・・?

私と友人は、思わず窓を見上げました。
そこには長い黒髪を振り乱し、蒼白な顔色に、紫色の口唇、真っ赤に充血した瞳で窓に張り付き、私達を見ている“あの”先生の姿があったのです。

私「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

先生は私と友人をじっと見つめ、友人と目が合うとニヤリと笑いました。
そして、血の気のない唇で何かを話していたようでした。

窓越しだったので何を言っていたのかは分かりませんが、何か不吉な感じでした。

友人は先生と目が合うと「ごめんなさい!ごめんなさい!わざとじゃなかったんです!」と、ずっと、そういい続けていました。

そして、私と友人は恐怖のあまりいつしか失神してしまったようでした。

次の日、先生のお葬式で遺体に花を御供えする時、英語の授業の指導から外れて以来初めて先生の遺体を目にしました。

その姿は、目こそ見開いてはいないものの、昨日見たあの先生そっくりでした。

やっぱり、あれは先生だったんだ・・・。

私はその姿を見てなぜかそう確信しました。
そして友人は先生の姿を目にした途端、急にがくんとその場に膝をつき、昨夜と同じように、ずっと「ごめんなさい」を繰り返していました。

先生と喧嘩でもしたのかな?

私は、そう思いました。
そして、そのまま友人と別れました。

・・・その3日後、友人は教室で首を吊りました。
自殺です。

遺書も見つかっており、そこには、学級委員という地位を利用し友人が先生にかなり悪質な嫌がらせを繰り返してきたことが克明に記されていたそうです。

嫌がらせの中には、クラスメイトを扇動してやらせたもの等もあり、かなり悪質で遺書で判明直後一時は学校でかなり問題になり職員会議や、関わった生徒を呼び出しての聞き取り調査等も行われたそうです。

その過程で、停学や退学になった生徒も出たようでした。
友人と仲が良かったということで、私も呼び出され、聞き取り調査を受けたのですが無関係ということがわかり、すぐに解放されました。

その時、担任の先生と、あの夜に友人と私の身に起こった出来事を話したのですが、担任の先生は「あの先生はね?末期で、もうかなり前から余命を宣告されてたみたいなんだ。でもね?教え子が卒業するまでは頑張る!って最後まで病気と戦ってた。でも、あの嫌がらせが、先生から病気と戦う力を奪ってしまったのかもしれない。大切にしていた教え子に裏切られたって気持ちが、先生に病気と戦う気力を無くさせてしまったのかもしれない。・・・もし、あんなことさえなければ、先生は、貴方達の卒業式を見られたかもしれないのにね」

瞳に涙を浮かべながら、そう言っていました。

そして、私はあの夜の先生の姿を思い出していました。

考えたくないことですが。
あの夜、最愛の教え子に裏切られ、絶望し、傷付いた先生が友人に告げようとした言葉は『呪いの言葉』、ではなかったのか・・・。

あの、先生の満面の笑みには、復讐をやり遂げられる喜びが溢れていたんじゃないか・・・。

私は、そう、思いました。
それでも私は、今でも先生のお墓参りに行っています。
どんな気持ちで、どんな最期を迎え、どんな姿に変わったとしても、私の恩師に変わりはないのですから。