俺の親父が東京近郊にマイホームを建てたのは俺が小学校5年生の時だった。

そこは山を切り崩し、沼を埋め立てた新興住宅地で、斜面によってはまだまだ自然が残っていて、探検ごっこも出来たし、都心の社宅から転校して来たばかりの俺は孤独だったが、退屈では無かった。

そのうち、他のクラスのウー君って奴が声をかけてくれて、よく一緒に遊ぶようになり、日曜には二人で裏山歩きもするようになった。
ウー君はもともと地元の生まれで、俺が知らないかつての住宅地の姿を教えてくれた。

ウー君「あそこには川が流れてたんだぜ、沢ガニもいたんだよ。ここには栗の木が生えてたよ、拾った栗で炊いた栗ごはん、美味かったなぁ」

そして、ある日の夕方、一緒に帰る途中、ウー君は一件の家の前で立ち止まった。
その住宅街の、東斜面の一等地の中でもひと際目立つ豪邸だった。
ウー君は俺に、と云うより、独り言のように語り始めた。

ウー君「ここには祠があったんだぜ、カミ様を奉っていたんだよ。こんなところに家を建てて、祠を潰して、いつかバチが当たるべって父ちゃんも言ってる。・・・この山はもともと俺んちのものだったんだよ。だけどじいちゃんが騙されて、この家の奴に盗られちまったんだよ。この家の奴が不動産会社に山を売って、この山全部台無しにしちまった。この家の奴には何時か必ず罰が当たるべよ」

ウー君はそう憎々しげに吐き捨てた。
俺は身震いした。
それは、とても小学生の少年のものとは思えない程呪詛に満ちた言葉だった。
・・・その家は俺と同じクラスの女の子、Mの家だった。

俺は転校早々、無理矢理担任に図書委員に任命されてしまったのだが、毎週月曜日放課後にある委員会に出席するのは嫌じゃなかった。
・・・と云うより、委員会の後、もうひとりの図書委員、Mと一緒に帰るのが密かに楽しみだった。
Mは色白の、ほっそりとした清楚な顔立ちの女の子で、一緒に帰っても特に会話が弾むと云うようなことは無かったが、時々肩が触れ合ったり、彼女の清潔な甘い香りに鼻をくすぐられるたりすると無性にドキドキした。

しかし、そんな甘い思い出もほんの4~5回で、やがて新しい生活にも馴染んで来た俺は、委員会をサボって野球をしたり、冷やかされることを恐れて、Mと一緒に帰るのを避けるようになってしまった。

小学校を卒業し、俺は地元の公立中学へ通うことになったが、Mは中高一貫のお嬢様学校へ進学して、顔を合わせる機会もほとんど無くなった。
高校三年の学校帰り、一度だけ、セーラー服を身に纏ったMと駅近くでばったり会ったことがある。
彼女は驚く程美しくなっていた。
彼女は懐かしげに、「ひさしぶりね、カッコ良くなったね」と笑ってくれた。

俺は、出来れば彼女をお茶に誘いたい、と願った。
たぶん、彼女もそれを望んでいたと思う。
だが、その時、俺のポケットには200円しか入っていなかった。
俺は情けなく恥ずかしく、「じゃあ急ぐから」とわざと冷たく彼女に告げて、今来た駅に向かって駆け出した。

なんだか泣きそうだった。
50m程走ったろうか、耐えきれず振り返ってみた。
Mは大きな夕日の中に佇んで、一寸、小首をかしげた綺麗な姿勢のまま、まだ俺を見送ってくれていた。
それがMを見た最後だった。

それから10数年経った。
大学時代から下宿生活をはじめ、そのまま一人暮らしを続けた俺は地元の友人とは疎遠になっていた。
それが、今年の盆休みに帰った時、小中時代の友人Gに誘われて、一杯呑むことにした。
奴は駅前の不動産屋の息子で地元の名士みたいに振る舞っていた。
俺達は同級生達の消息を噂を肴に酒を呑んだ。

しばらく呑んで、いい気分になった俺は、軽い気持ちで、「Mはどうしているだろう?」と訊いてみた。

G「M?」

俺「うん。中学から私立に行っちゃったけど。・・・俺、あの子のこと、ずっと好きだったんだよ」

するとGは、“意外だ”、と云う顔をして「お前、知らなかったのか?Mは死んだよ。もう7,8年になると思うよ」と。

G「死んだ!?」

Gは煙草に火をつけて一服してから、ゆっくりと語りだした。

G「おまえ、Uって覚えてるか」

俺「ああ、ウー君ね、覚えてるよ」

あの日以来、俺はウー君が怖くなって、彼が誘いに来ても居留守をつかうようになり、やがて疎遠になった。

俺「たしか中学で不登校になっちゃったんだよな。で、ウー君がどうした」

G「奴が殺したんだよ、Mを」

頭の奥で、キーン、と冷たい、乾いた音が聞こえた。
顔から血の気が引いているのが自分でも判った。
が、Gはかまわず話し続けた。

なんでも中学以来引きこもりだったウー君は、20歳位から突然Mにストーカー行為を始めるようになったそうな。

Mが帰宅し、部屋に入るとナイフを持ったウー君が座っていた、なんてこともあったらしい・・・。
Mの両親もM自身も、同じ町内の、同級生のことだから、と事を荒立てないようにしたのが良くなかった。

ある日帰宅途中のMを車で拉致し、長野県の山奥でMを殺害。
死体をバラバラに切断し、幾日かかけて少しずつ遺体を捨てながら山道を徘徊している処を逮捕。
いまだに身体の多くの部分が発見されていないと云う。

G「結構、当時は大ニュースだったぜ。何でおまえ知らないんだ?まあ、すぐにUが精神病で刑事責任能力無しってことになって、いっさい報道されなくなったけどな」

Gは新しい煙草に火を着けながら、急に好色な顔になってこういった。

G「でさ、山奥で、やっぱりUはMをレイプしたんだろうなぁ?何度もよ、殺す前に。・・・あれは凄くいい女だったしな、刺激的な話題だよ。な?どう思う?」

俺「・・・呑み過ぎた。悪いけど先に帰る」

俺はGに泣け無しの1万円札を押し付けて立ち上がり、奴の止める声も聞かず店を飛び出した。
そのままいたら、間違いなくGに殴り掛かっていただろう。

・・・これでこの話はおわりです。

殺人事件と祠の件に短絡的に因果関係を求めるのはナンセンスだと俺自身思います。
ただ、この世には、邪な、嫌な怨念みたいなものが実は身近に渦巻いていて、それによって俺の、玉のように大事にしていた思い出が汚されてしまったことにどうしようもない憤りを感じています。
いまでも夕日の中に佇んでいるMの姿が脳裏から消えないんだ・・・。

読んでくれた人、ありがとう。