ある夏、Kは自転車で近隣の山々を巡っていた。
ちょっとした小旅行のつもりだったと言う。
ところが悪路でパンクしてしまい、Kは自転車を押して湯気の立つ道を歩き続けるはめになったのである。

途中、ある山村へ続く道路に差し掛かり、廃線になっているはずのバスの停留所のベンチで、大きく膨れたスポーツバッグを抱えた少年が座っているのを目にした。
休憩をしようとKもベンチに座り、汗を拭きながら水を飲む。
少年はKを気にも留めず、何やら遠くを見つめているようだった。

「ここ、バス来ないよね?」

一息ついたKは少年に声をかけてみた。
が、彼の眼差しは遥か彼方で、Kの事など眼中に無い様子である。
この路線が廃止されたというのは、地元のニュースで特集していたのを見たので間違いは無いし、辺りを見回しても、時刻表などは取り除かれて周りは雑草だらけ。
バスが来る気配は微塵も感じられない。

そのうち、揺らめく道路の向こうからエンジン音がしてきた。
その音に気づき、少年は停留所から身を乗り出す。
しかしそれはバスではなく、普通の常用車。
少年はガックリうなだれて再びベンチに腰掛ける。
そして、篭った声でブツブツと文句・・・というよりは恨み言に近い言葉を、過ぎ去る車に浴びせかけるのだった。

何も恨むような事ではないだろう・・・と思っていると、また車が向かって来る音。
少年は身を乗り出し、バスではないと分かると、ベンチに戻り恨み言。
Kの休憩中の間に、その一連のアクションが何度か繰り返された。

疲れも取れ、少年の行動も馬鹿馬鹿しく思えてきたので、Kはそろそろこの場を立ち去ろうとした。
するとちょうどそこへ、地元の農家の人らしき小父さんが軽トラックでやって来て、停留所の少年に声をかけた。

「○○、また待っちょるんか。もう、バスは来んて言いよろうが」

やはり、彼はバスを待っていたのだ。
話しぶりによると、いつもこんな調子らしい。

この小父さんが気さくな人で、Kのパンクした自転車を見て「ウチで治してやる」と言うや否や、軽トラに自転車を積みこみ、Kを助手席に押し込んだ。
あの少年の事を尋ねると、小父さんは「奴ぁ、これやけん」と人差し指を頭の横でグルグル回して見せた。

小柄なので少年だとばかり思っていたが、実はもう20代の青年だそうで、東京の大学に進学したものの、頭が良すぎる故に人生に思い悩み、心を患って田舎に帰って来たという。
普段は実家の畑仕事を手伝っているが、時々発作的にああして遠くに旅立とうとするそうである。
小父さんは軽い口調で話していたが、まだ多感な時期のKはひどく複雑な心境になった。

実を言うと、隣町まで行けばバスも汽車も出ていて、そこまで歩いていけない距離ではない。
村を出ようと思えばいつでも出られるのに、「少年」は停留所で来るはずのないバスを待ち続ける。
いや、どこにも連れていかれる心配がないからこそ、いつまでも待ち続けていられるのではないか?
Kはそんな何の得にもならない憶測が頭に湧いたが、すぐにそれを払いのけた。
そして、治してもらった自転車を手で押し、夕立で少し涼しくなった道を歩き始めた。