1980年代はじめ、薬師丸ひろ子さんのセーラー服と機関銃が流行っていたあの時代・・・。

私が中学生の頃、お世話になった先生が教えてくれた怖い体験談を娘に話したら、ここに書き込めと言われましたので、おじゃまさせて頂きます。
2ちゃんねる語(?)とか分からないおばちゃんなので、逆に読みづらかったらごめんなさい。

私が通っていた中学校は戦時中に戦闘機の工場と滑走路が目の前にあり、私の在学中には高台にある学校の裏手、崖部分に防空壕や戦闘機を格納しておく、大きな横穴がいくつもありました。(現在はありません)
古く歴史があり、その当時から怖いウワサが多くあった学校でした。

現在その中学校に通う息子によると、今でも脈々と受け継がれているようで、聞いたことある話がたくさんありました。

体験談を教えてくれたのは、数学の加藤先生、当時で定年も近い女性の先生でした。

その頃は、先生方が2人体制くらいで交代の当直をされていました。
加藤先生も、夜10時頃を過ぎてから、他の先生と分担で校舎内の見回りに行ったそうです。

他の先生は新校舎。
加藤先生は旧校舎。

懐中電灯を持って各教室を見回り、異常がないか、施錠はされているかを確認する。
そんな作業をしながら何か所目かの教室に入った時に、何か違和感を覚えたそうです。

教室の雰囲気がどこか違う・・・。

おかしいなぁと思いながら、中まで入り込んだ時に気付かれたそうです。
懐中電灯に照らされ見えたのは吊り下がり式の蛍光灯。
木製の持ちあげ式学生机。

こんな古いタイプの教室あったかしら・・・。
おかしいおかしい・・・。

不思議に思いつつ、戸締まり確認だけして早く出ようと窓際まで行ったときです。

窓に映る教室の壁が、さっきまでと違うことに気付きました。
黒板や掲示用の壁が、黒く山型の模様になっているのです。

壁に大きなギザギザ模様が出来ているような・・・。

驚いて振り返りよく見ると、山型の模様に見えたもの・・・それは模様などではなく、防空頭巾を被った子供達が、壁際にずらりと並んでいるシルエットでした。

皆一様に虚ろな目で、言葉を発することなく、ただじっと先生を見てきます。

先生は叫ぶこともできず、這う這うの体で教室から抜け出し廊下を這うように進んでいるところで他の先生に会い、そこでやっと『助けて!』と声が出たそうです。