高橋コウ(山梨県)の手記

※このお話には地球上の物ではない(後編)があります。

私の住んでいる山形県最上町は、宮城秋田両県の県境に近い場所で、奥羽山脈のほぼ真ん中に位置している海抜二、三百米の山里です。
見渡す限りの険しい山々と深い渓谷に囲まれていて、すぐ近くには広い傾斜の続く高原が眺められます。
名だたる豪雪地としても有名ですが、陽春の候ともなりますと、どこを歩いてもぜんまい、わらび、山うどなどの山菜が豊富に採取されます。

私は山菜取りが好きで、人様から名人級などとおだてられるくらいに、質がよくて太いぜんまいやわらびを探すのが得意なのです。
長い間の経験と、好きな道だからこその工夫などが原因だと思います。
ところが、附近の連山をくまなく歩き回っていて山のベテランと自他共に許す私も、ある特定の区域だけは足を入れたことがないのです。

それは、山形宮城両県境にまたがる田代峠から更に入った山奥の附近です。
地形がきわめて複雑なこと以外には、何の変哲もなくて、深い谷が多く湿地が続いている山地ですが、地元の人々は古来から、この地域に行った者は、再び戻ってこないとか、運よく帰れても発狂してしまったり、突発的事故死が起きると伝えられています。
『地獄の山』との別名もあって、山登りはもちろん、山菜取りの人も恐れて近寄らないくらいタブーの山でもあります。

太平洋戦争の末期に日本内地を移動中の旧海軍双発飛行機一機が、地元住民の誰もが視認している中で、田代峠奥地の上空で急に飛行中の機体が空中爆発して墜落した事件がありました。
捜索に出向いた現職警察官と数名の消防団員達は、地元古老の制止を振り切って入山したまま、杳として消息を絶ち、更に救援に赴いた少数の海軍兵士さえ、行方不明になってしまいました。

数年前の冬です。
今度は陸上自衛隊のヘリコプター機が訓練飛行中に、田代峠奥地と推定される場所で、危険緊急電報を打電したきりで、不明になったことがありました。
空中からの捜索は行われましたが、近代装備を誇る大勢の自衛隊員が来ましたのに、なぜか現場と覚しい所までは直行せずに、何も回収しないで帰ってしまったのです。
私ならずとも、そこに何かあるはずだと思います。
しかし、昭和五十年代のご時世に迷信や非科学的な現象が存在するはずがありません。

ようし、誰もが嫌がって行かないなら、山男ではないが山女の名にかけて私が行ってやろう。
そして、どんな物があるのか、いかなることが起きるのかを、私自身のこの目で確かめてやりたいと決心しました。

五十歳を過ぎた私には、異常な決意だったのですが、独身で気楽な会社勤めの上の息子に相談しますと、「お母さん、それだけは止めたほうがよいと思うよ。何百年も人間が入っていない場所だから、ぜんまいのすごいのがあるだろう。だが、禁制を破って入り、あとでキチガイになったり、早死してはつまらないからなあ」と、てんで乗ってこないのです。

そう言われるほど闘志が湧き上がる私は、「おやっ、今どきの若い者にしては、珍しい縁起かつぎだわねえ。そんなら、私一人で這ってでも行って来ますよ」と、そう宣言しますと、仕方なさそうに、「しようがないなあ。それでは、田代峠の近くまでは車で案内するよ。だけど、近づいて眺めるだけ。それ以上は山に入らない約束をすれば一緒に行ってもよいよ」と、しぶしぶの返事でした。

息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮らしの私との二人は、昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向かいました。
山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメートル)以上もあるのです。
未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと、峠より相当離れている手前に、屋敷台と称する数軒の小落がありました。
車はそれ以上進めません。

駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。
わらぶきの屋根と、手造りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。
黒ずんだランプが印象的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。

この辺では他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示してくれましたが、田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこの家の主は急に険しい顔つきになって、「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい側には足を入れないのだ。止めた方がよいと思う。一歩でも踏み込むと、得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。わしが知っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」と、こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、小動物のくん製肉をたくさん持たせてくれました。

峠まで歩きましたが、八粁足らずの道程だと思っていましたのに、背丈ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、予想外に時間を費やしてしまい、日の長い五月の一日も暮れようとしていました。

山のベテランともなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。
さすがに人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいがそこら中にあって、うなっていました。
今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れないほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。
二人で採れば六十キロは超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。
キロ当たり一万ですから、六万円以上になりそうだと、われながらみみっちい計算をしていました。

すると突然、私達の目の前に老婆が現れました。
初夏の日暮れの逆光線を浴びて、音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。
乱れた髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたものなのか、衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っています。

どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。

地底から涌き出るような声をしぼって、何やら尋ねているのです。
私は山の衆と言われている独特の〝またぎ〟の言葉も知ってますが、それとも違うようでした。
判ずると、”お前さん方はどこに行くつもりなのか”。
”峠から向こうには行ってはいけない”。
”今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ”。
そんな意味でした。

案内された住処というのは、山の中腹に掘った洞窟でした。
家財道具らしいものは何もないのです。
洞窟内の地べたに炉を作っていて、手製らしい土鍋の中には、とうもろこしと、何ともわからない肉片の塩じるでした。
鍋ごと食えとのことでしたが、盛り付ける茶碗や皿がなかったのです。

水のしずくがしたたり落ち、がらんとした洞窟は、松やにの灯に黒ずんだ岩肌が不気味に光っていて、休むどころではありません。

老婆の姿をしげしげと眺める毎に、原始的な服装と動作のテンポが常人と違っていて、なぜこんな山奥に独りで生きているのか、分からなくなってくるのでした。
言っていることは、半分ほど理解されましたが、「お前さん方は、翌朝になったら、峠から戻ってくれ。一歩でも入ったら、どんな災難が降ってくるかも知れない。うちの旦那は、あそこに出掛けたきり戻って来ないし、最近では、地図作りのお役人さんと営林署の人が、止めるのも聞かずに行って、次の日には死体となって烏や鷹の餌になってしまった。悪いことは決して言わないから、必ず実行してくれや」との意味でした。

予想通り、普通の人間が現場に近寄ると、なにかの理由によって、不幸な事態になるらしいことは、彼女の言によっても了承できるのでした。
でも、その正体を突きとめたい気持ちも十分にありました。

※地球上の物ではない(後編)へ続く