骨董品じゃないけど古着で体験した話。

友人が買った古着と同じ服を着た女の人が「私の服返して」と枕元に立たれるって相談受けた。
友人がその霊に「どうやって服を返せばいいの?」って聞いてみても、「返して」としか返答しないらしい。(そもそも同じ服着てるらしいのだが)
二人で話し合った結果、「服を返します」と宣誓後、その古着を燃やして塩かけて地面に埋めました。
その晩からは出なくなって、「服を返せたんだね」って安心してたのですが、今考えると、返し方が間違ってた場合、服を燃やしたので取り返しつかないですね。

少し話は変わるが・・・振り袖火事って呼ばれる火事が江戸時代にあって、これが2日間も燃え続けて江戸の大半が焼け野原になった、というとんでもない大火事。
この火事の原因についてはいろんな憶測や説があるんだけど、三カ所から出火しているので、公儀によっての焼き払い説まであるんだが、振り袖火事と呼ばれるようになったのは、出火当日、本郷本丸の本妙寺で変わった供養が行われていて、江戸でちょっとした話題になっていたらしい。

その供養というのは、一枚の振り袖を焚き上げるというものだった。
この振り袖は紫縮緬地に波の砕ける磯と菊を染め出し、桔梗の紋を付けた、それはそれは豪奢なものだったらしい。
しかし、この振り袖にはいわくがあった。

この振り袖の来歴は、まずはウメノと言う遠州屋彦左衛門の娘、この娘が一家で花見に行ったのだが、ここであまりにも麗しい寺小姓(寺のお稚児さん)を見かけ、一目惚れしてしまい、親にねだって、この小姓が着ていたのと同じ柄の振り袖を仕立てさせた。
それを抱きしめたり話しかけたりしているうちに、想いが高じて病みついてしまった。
親は娘が片思いで恋煩いにかかったと知り、どうにかしようと小姓を探したが見つからなかったという。

そうこうしているうちにウメノは日に日にやせ衰え、枕があがらなくなり、正月についには想い死にしてしまった。
親は本妙寺で娘の供養をしたあと、その振り袖を寺に寄進してしまった。
寺としては寄進されたものの、女物の振り袖などどうしようもないので、出入りの古着屋に払い下げた。

ところが、この一年後の正月にまたこの振り袖が本妙寺に戻ってきた。
今度は、おきのという紙商の大松屋又蔵の娘の棺に掛けられて運び込まれたのだ。
そして、またおきのの親も「娘が大切にしていた物ですので」と、寺にこの振り袖を納めた。
寺もよもやとは想いながらも、また古着屋に払い下げる。

が、また一年後の正月、またまたこの振り袖が掛けられた棺が寺に運び込まれたものだから、寺僧たちも肝をつぶしたらしい。
今度は本郷元町の麹商の喜右衛門娘、おいくというまた年若い娘だったという。

さすがに寺もこれ以上この振り袖を払い下げることもできず、焚き上げてウメノの供養をすることになった。

僧たちが読経しながら振り袖を火にくべると、突然風が巻き起こり、火のついた振り袖を天高く巻き上げて、この振り袖が本堂に落ちるや、棟木に燃え移り、大騒ぎしている町人たちが見ている間に本堂が火に包まれ、この火が周りに燃え広がり、明暦の大火になったと言われている。

まあ、講談みたいな作り話だとは思うが、こういう話があったりする。