地元の伊勢参りにまつわる話。

ご維新が終わり代官がいなくなり、世の中落ち着いてきた頃というから明治の初めの頃だろう。
俺の地元と近隣村と、若者ばかり十人ほどで伊勢参りすることになった。
伊勢講の世話人に道中万事整えてもらい、家族と形ばかりの水杯を交わし、最初とその次の宿泊場所、大まかな旅程を教えられて、「後は講宿に聞けばいい。決して道を外れるな道中二手に分かれるな。身を謹んで伊勢を目指せ」と注意を受けて出発した。

田舎の若者ばかりの旅だ。
髷に尻端折り草履履きの一行には、見るもの聞くもの全てが珍しい。
泊まるのは昔ながらの講宿で、無事に伊勢参りを済ませご朱印を貰い村の人の分以上の札を貰った。
訳知り顔の講宿の主人が、無事に参った祝いだと調子を一本付けてくれた。
皆帰りに立ち寄るという名高い悪所に行くが、田舎者が遊べる所ではない。
垢抜けて媚を売る給仕女引っかかり、足休めしただけで目が飛び出るような値段を請求されて逃げ出す始末。

一行は伊勢から元伊勢に回り、三輪から奈良盆地を横切り歌姫越えの古道を通り京都見物するという旅程を続けた。
その日は2人ほど腹を下し足が進まず、山中で暗くなってしまった。
どこか適当に野宿すればいい・・・と思っていると、ぽつんと明かりが見える。
近づくと、杣小屋らしきものがあった。

案内を請うと番人の老爺がひとり。
伊勢参りの者だがと話しかけると泊まって行けという。
問われるままに国と村を答えると「それじゃ講の世話人は◯◯か。ありゃ元気にしとるのか」と言う。

「じい様は◯◯さんを知ってなさるんか。あの人はもう亡くなって、今は息子さんの代だ。俺達は息子さんの世話で伊勢に参ったんだ」

「息子なら◯△か。あの童が立派になっとるか。遠慮するな。布団はなくてもここにいれば温かいぞ。この小屋は伊勢参りのもんも偶に来るぞ。山道で夜になったらみんな泊まっていくんだ」

これは良かった。
世話人さんは大したもんだ、行き届いている、と喜んで、一晩泊めてもらったそうだ。

翌日お礼をいい、これですまないがと伊勢の札を渡して出発した。
しばらくすると1人が手ぬぐいを忘れたことに気が付いた。

「道中二手に分かれるな」と言うのが世話人の教えだと皆で戻ると、小屋がない。
立ち木の枝には置き忘れた手ぬぐいがかけてある。

はて?と付近を捜すと、小さな祠があり、見ると中には真新しい伊勢の札が貼ってあった。
一同神妙に手を合わせて、旅程を続けて村に帰ってきたそうだ。

伊勢参りの土産話でその話が出たそうだが、世話人さんは笑ってたそうだ。
伊勢の神か三輪の明神かは知らないが、伊勢に参りの道中では行きに神妙にしていれば人間以外にも助けが入ったそうだ。