大学生の頃、妙な夢を見続けた。

大学の研究棟の廊下に、見たこともない髪の長い女が立っている。
女は足を動かしていないのに、滑るようにゆっくりとこっちに近づいてくる。
僕はじっと女を見つめたまま立ち尽くしている。
そしてある程度の所まで女が近づくと、夢の中の僕が叫んで目が覚める。

そんな夢だった。

怖かったが、大学生にもなって必要以上に悪夢に怯えるのが気恥ずかしく、僕はただ黙ってその悪夢に耐え続けた。

そして僕はある日気がついた。
夢を見るたびに、目が覚めるまでの女と僕との距離がじょじょに近づいていることを・・・。
女との距離が近づいてくることに改めて恐怖を覚えたが、だからといって何が出来るわけでもなく、僕はその夢を見続けた。

そして夢を見始めて十日ほど経った頃、ついに夢の女は僕の目の前まで来た。
目の前まで来た女は、おもむろに大きく口を開けた。
女の口には歯が一本もなく、洞穴のようにまっくらだった。
そしてその洞穴のような口の奥から、なにかがゆっくりと這い出てくるのが見えた。

それは誰かの手だった。

女の口から這い出てきた手は僕の顔を掴むと、じょじょに力を強めながら僕の顔を締め始めた。
夢の中だからとタカをくくっていた僕は、じょじょに強くなる痛みに身悶えした。
夢の中では痛みを感じないとは嘘だったのか?
僕はそんなことを考えているうちに、痛みはだんだんと耐えられないほどの激痛に変わっていった。
そして激痛がピークに達した時、僕は遂に目を覚ますことが出来た。

目を覚ますと、僕自身の右手が、実際に僕の顔を握り締めていた。

激痛にめまいがしながら何とか自分の右手を引きはがしたが、右手はそれでも手を握るのを止めず、ギリギリと皮を絞ったような音を起てて握り拳を作っていた。
僕はあまりの恐ろしさに、台所にあったワインの瓶の底で、僕の右手を何度も何度も叩いた。

手の骨が砕ける激痛であげた僕の悲鳴を聞いたアパートの他の住民の通報で警察と救急が駆けつけ、僕は病院に運ばれた。

僕の右手は今でもマヒが残るほど骨が砕けていたが、それよりも医者が驚いていたことは、僕の眉間の骨にヒビが入っていたことだった。
僕は寝惚けて自分で顔を強く握り締めていたことを説明したが、医者曰わく、普通の人間の握力で頭蓋骨にヒビを入れるのは不可能とのことだった。

結局、あの夢が何だったのかは分からずじまいだ。
ノイローゼではないかと警察と病院では言われたが、そんなことは有り得ない。
大学生活は単位取得も順調で、少ないが気の置けない友人もおり、今でも付き合っている地味だが趣味の合う彼女が出来たばかりだった。

僕は何の不安も不満もない学生生活を送っていたはずだ。
だからノイローゼだと言われるのはどうしても納得がいかない。
それに僕は呪われる覚えもないし、なにかが憑いてくるような場所や、罰当たりな行動をした覚えもない。

こんな理不尽な目に遭わなければならない理由が、本当に、当時の僕にあったのだろうか?