殺されそうになった経験。

以前務めていた会社は、海外の取引先が多かった。
自分は国内の取引先を担当しており、海外出張には無縁であった。
が、どうしても人員が不足し、「一度だけ海外出張してくれ」となった。

仕事でまた海外旅行に行ける、なんて甘い考えをこの時は持っていました。
で、場所はというと、取引先はロンドンにある企業であったが、向こうの担当者が出張中であり、その出張先で落ち合う段取りとなっていた。
なんと、その場所とは南アフリカはヨハネスブルグ。

『リアル北斗の拳』『強盗遭遇率150%』『赤信号でも停まってはいけない街』と、今ならヨハネスブルグの危険な情報は、ネット等で簡単に手に入る。

しかし、当時(1994年でした)はネットも普及してなく、観光ガイドブックくらいしか情報源がなかったのである。
それも、南アフリカとなると行く人が少ないからか、ガイドブックが少ない。
ようやく見つけた1冊を見ても、ヨハネスブルグについてはあまり書いていなかった。
後で知ったのだが、あまりに危険で観光に向いてないかららしい。
まぁとにかく、前情報をあまり得ることが出来ず出発。

クアラルンプール経由で、ヨハネスブルグ国際空港に降り立つ。
空港を出、サントン地区という白人居住地区へ向かい、仕事をこなす。
しかし、なんと、初日で商談が成立してしまい、残り2日間が暇になってしまった。

とりあえずその日は宿へチェックインし、明日以降の計画をたてるべく、宿の主人に相談してみた。
返ってきた答えは、「この地区の外へは出るな。本当はこの宿から1歩も出ないのが理想だ」というもの。

主人は「危ない」を連呼していたが、海外は危なくて当然と、自分の物差しで測った“危なさ”くらいだろうと高を括っていた。
そして、変な怖いもの見たさみたいなのも手伝い、「よし、明日はこの街を探検するぞ」と決心し床についた。

そして次の日の朝、宿の前でタクシーを拾い、目的地を地図で見た適当な地名を告げた。
すると、白人の運転手は「そこへは行けない」と言う。

「アジア人だからナメとるな」と思った。
その当時アパルトヘイトが廃止された直後であり、初日から白人の横柄さが目立っていたのだ。

「ダメだ行け」というと、運転手は泣きそうな顔になり、「お願いします。途中までは行きますから」と言った。

ただ単にナメられてただけだと思っていたので、運転手のその反応は意外であった。
なんか可哀想になったので、「じゃあ途中までで良いよ」と告げた。

車は綺麗な建物が並ぶサントン地区を抜けた。
その途端、周りの建物が豹変する。
汚く、壊れた建物が多くなった。
歩いてる人達も、白人から黒人に変わった。

とあるバス停の前でタクシーが停まった。

運転手が「ここからバスに乗れば目的地に着ける」とのこと。
まぁその場所に行くのが目的ではなかった為、その周辺を歩いてみることにした。

歩きだして5秒ほどで、周囲の視線に気付く。
刺すような視線。
猛獣が獲物を見定めるかのような視線っていう類のモノだ。

なんだかよくわからんが危険・・・。

日本に住んでいてはあまり使われることのない、体のどこかに備わったセンサーがそう告げる。
汗腺から一気に汗が噴き出てきた。心臓の動きが急激に高まり、息が苦しくなった。

歩いている先に、身長190cmはあろうかという黒人が2人。
ただ単に、こちらに向かっているだけ。

しかし、なぜか普通にすれ違うという想像が出来ない。
絶対に何かしらの接触をしかけてくる、それも良くない方向のもの、ということがなぜか解ってしまう。

危険、危険、・・・体がサインを出す。

体が固まってしまい、歩けなくなってしまった。

棒立ち・・・。

言うなればそういう表現が正しい。
しかし、その二人組が十数m先で、急に「やれやれ」みたいなジェスチャーを取った。
その刹那、頭に衝撃が・・・。

気がつくと地面に横たわっていた。
ズボンのポケットを何者かがまさぐっている。
その手はサイフを見つけ、何の躊躇いもなく引き抜いた。

中身を確認したらしく、上から「しけてやがる」みたいな声が聞こえた。
万が一を考えてカードは宿に隠してきて、現金50ドルほどを入れていただけだった。
気付かれないようにうっすらと目を開ける。
顔が向いている方に一人立っていた。
背後にはもう一人の気配がある。
どうやら二人組のようだ。

しばらく、気付いてはいるが、とにかく気を失っているふりを続けた。
すると、背後の一人がとんでもない一言を吐いた。

「殺してもいいよな?」

それを聞いたときに、汗腺がまた開いたのがわかった。

バっと立って思いっきり走るか・・・?

まず体が動くか確認した。
二人に気が付いていることを悟られないように足、手、首をわずかに動かす。
体は大丈夫であった。
そして、一気に立って走った。

学生時代でもこんなに機敏に動いたことは無いと思う。
後ろでは何か叫んでやがる。
だが、聞き取れない。
すると、後方から大きな音がした。
明らかに発砲の音である。
3回ほど聞こえたが、無事当たらずにすんだ。

数百メートル走った所でしんどくなって止まり、後ろを確認すると追って来ている気配はない。

「良かった・・・」と思ったのもつかの間。

道路を挟んだ反対側の歩道にいる4人組が、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
その内の二人はなんと、拳銃を持っているではないか!
しかも、道路を渡って来ようとしている。

こいつらに襲われたらもう逃げられない。
頭がパニックになりかけた時、タクシーが迫ってきていた。
咄嗟に止める。
タクシーに無事乗り込み、すぐに出させ、一難は去った。

運転手に宿の名前を告げると、「わからない」と言う。
仕方ないので宿の近くにあったマーケットの名前を告げると、わかってくれた。
しかし、まだ緊張は解けない。

「何人だ?」

運転手が聞いてきた。
日本人であることは悟られない方が良いと思い、「中国人だ」と答えた。
運転手は「Ha」と一言言うと黙ってしまった。

なんかタクシーの運転手までもが怖く思える。
しかし、車はちゃんとサントン地区に向かってくれているようだ。
見覚えのあるビルが近づいてきていた。

20分ほどで目的地のマーケットに着いた。
宿は目と鼻の先だ。
靴下の中に隠していた金を取り出し、多めに渡す。
運転手は喜んでいた。
俺もなんとか帰って来られたことに小躍りしていた。
生きているって素晴らしい。

宿に帰り、主人にその日の出来事を話すと、「運が良いなお前は」と言われた。

俺は「いや、タクシーが来たのはいいけど他は最悪だろ」と言うと、「そのタクシーの運転手は黒人だろ?黒人のタクシーで目的地に着けるかは運次第。それも、分が悪いギャンブルだ。それに普通なら、最初襲われた時に殺されててもおかしくない」などと言う。

しかしよく聞いてみると、俺の行ったエリアは危ないとは言え、ヨハネスブルグでは比較的安全なエリアらしい。
本当のダウンタウンに足を踏み入れてしまったら、まず外国人は生きては帰れないとか。

次の日は、空港に行くまで1歩も宿の外に出ることなく過ごした。
空港で出国手続きをし終えたところで、ようやく安堵感が得られた。
帰ってから上司に思いっきり文句を言い、焼肉を食べさせて貰った。

あの危機感は、日本に住んでいる限り絶対に味わうことのない物だ。
日本でもヤクザやギャングまがいの若者などは怖いし、殺人事件も多い。

しかし、あの“街全体が捕食者”みたいな感覚は絶対にないだろう。
今でも当時の夢を見て、飛び起きることがある。
もう絶対に忘れられない。

長文失礼しました。