中学生だった頃の話。
当時は夏休み真っ盛りで、気象庁が着実に酷暑日のカウントを増やしていったにもかかわらず毎日のように部活のサッカー練習が続いており、ついに後輩の一人が熱中症で倒れたのがきっかけで保護者の数名が大騒ぎ。

顧問の教師もその対応に追われ「ガキのお守りなんてしてる場合ではない!」と、長期休暇の中途で俺たちサッカー部員は宙ぶらりんの状態になった。

無論俺たちは喜んだ。

もともとは軽い気持ちで始めた奴らの多いサッカー部の練習。
妙に熱くてうざったい顧問教師と部員の温度差は傍から見ても分かるくらいに顕著で、部員たちの間ではいつ投げ出してやろうかと無言のチキンレースが繰り広げられていたのだ。

唯一の楽しみだった他校との練習試合もご破算となったが、そこはそこ、気持ちの切り替えが早いことが若さの特権である。
顧問の教師から申し訳なさそうに放置宣言が下った数時間後には、ファミレスで日焼けした顔を突き合わせて、海へ行く算段を立てているのが俺たちサッカー部員の不真面目さだった。

その日は荷物もあったのでその場で解散。海は明日以降のたのしみだとその場で決まり、サッカー苦役から解放された俺たちは足取りも軽やかに帰路について、心の中で聞こえる波の潮騒に心を躍らせた。

そして海当日。“なんか面白いそうなのもってこい”を掛け声に三々五々集まっていた俺たちは、でかいゴム浮き具やらビーチボールやらの定番品、スイカと木刀、謎の存在感を放つ馬頭のかぶりもの、誰が持ってきたのやらこんにゃくとエロ本の黄金コンビなどを確認して、バカ笑いしながら海を満喫した。

しばらくは遠泳競争にビーチバレーにスイカ割りに腹減ったら海の家で焼きそば、と足並みをそろえて遊んでいた俺たちだったが、そのうち疲れてくると各々勝手な自由行動が始まり、俺も俺で火照った体を冷まそうとひとり海に飛び込み、背泳ぎの要領で顔だけを海面からだして波に体を任せていた。

ふと、急な波が顔にかかって鼻に海水が入り込み、せき込みながら体を浮かせた。
頭を海面から突き出して周りを見て、驚いた。
なんと、えらい遠くの沖まで流されていたのだ。

海岸で遊んでいる部員仲間の姿がアリのように小さく見える。
目測で1km弱は離れているように見えた。

いつの間にか潮に流されていたのか?

離岸流という言葉を知ったのはこれからさらに後の話になるが、俺は冷静に思考を巡らせて、とりあえず海岸と平行に泳ぐことにした。
潮の流れが沖まで俺を押し流したのなら、まずその潮流から逃れたのちに、海岸へと向かうのが有効だと判断したのだ。(そしてこれは正しかった)

水泳の授業で1km以上泳ぐのはいつものことなので、よほど慌てない限り溺れはしないということは分かっていたが、それでも緊張を抑えるのは難しかった。

不安で高鳴る胸をなだめ、体力を消耗しないよう、そろそろと平泳ぎで海岸と並泳した。
しばらくそうしていると、ふっと体を押していた水流が和らぐポイントへ行きついた。

潮の流れから逃れたのだ。
俺は胸をなでおろし、安心して海岸へと向かった。

水流に抵抗は感じない。
体力は十分に残っている。
体も冷えてはいない。
頭上の太陽の熱が心地よい。

それでも油断せず緩やかに平泳ぎしていると、海岸で遊んでいた仲間たちが俺の姿に気づいたのか、こちらに向かって大きく手を振っているのが見えた。

なにやら叫んでいる奴もいる。

気づくの遅えよ!
そう思わず笑って手を振り返しそうになったが、妙な違和感がある。

・・・海岸では、変わらずサッカー部員の仲間たちが手を振ってくれている。
潮を蹴る足をはたと止め、休憩がてらしばし観察すると、違和感の正体に気づいた。

あいつらは手を振っていた。
全員が等間隔でずらっと列を成し、まったく同じタイミング、まったく同じしぐさで、ずーっと手を振っているのだ。
たまに発する叫び声も、全員同じタイミングで発声している。
そして、多いとまではいかないまでもそれなりに居たはずのほかの海水浴客の姿が、まったく見えなかった。

ぞっとした。
まるで葬列のように見えた。
一人一人の表情まではうかがえないものの、真顔で手を振るあいつらの想像が頭をよぎって、あまりの不気味さに背筋に寒いものが走るのを感じた。

動きがあった。
おもわずたじろいだ俺の姿を感知してなのか、ぴたりと振られている手が止まった。

なんだなんだとその場に浮いたまま成り行きを眺めていると、今度は狂ったように頭を振り始めたのだ。

俺はなおさら危ういものを感じた。
互いに示し合わせたようには見えない、真に気が狂ったような振り方なのに、その場に並ぶ部員全員の動きがまったく同じで、鏡で照らし合わせたような不自然さだったのだ。

夢でも見ているのだろうか?
それともあいつらがいつもの悪ふざけで俺をからかっているのだろうか?

急に息が苦しくなったように感じた。
抑えるべき呼吸が荒いでいくのが感じ取れた。

早く陸へ上がりたかった。
地に足をつけて、砂浜にべったりと倒れこみたかった。
海岸にたどり着けば、「怖かったやろ?」とニヤニヤするあいつらとまたバカ話出来るはずなんだ、と結論付けたかった。

だが、俺は海岸と平行するように足を向け、陸には向かわず、奴らから過ぎ去るように潮を蹴った。

体力が持つかはわからない。
だが、少なくともあいつらからは離れたほうがいい。

もう少し平行に泳げば岩場がある。
そこにたどり着けば、と判断した結果だった。
視線は海岸へ向けたままだった。

また動きがあった。
部員全員が同じタイミングで停止した。

すると、今度はまた手を振りながら、並泳する俺に向かって全力で走り始めたのだ。
折れそうなほど全力で手を振り、操り人形のように頭をぐらぐらさせながら!

悲鳴を上げて沖に向かった。
がむしゃらだった。
闇雲だった。

沖へ逃げた先になにもないことがわかっていても、あの集団から逃れたかった。

ちらりと背後に視線をやると、海面から突き伸びた無数の腕だけが、変わらずこちらに手を振ってじりじり寄ってきているのが見えた。
沈みながら、それでもなおこちらを追いかけてきているのだ。

やばい、やばい!

平泳ぎからクロールに切り替えて、全力で沖へ向かった。
息が切れるのも、体力が尽きるのも脳裏から消えていた。
ただ恐怖から逃れたい一心で、一心不乱に手足をこぎ続けた。

もうだめだ。
死んでしまうんだ。
あいつらにつかまらなくても、どうせいつかは溺れ死んでしまう・・・。

そんな風に心が折れかけた瞬間、ざり、と手の先になつかしい感触があった。

地面だ、海底の感触だ。
え?と思って体を浮かせようとすると、膝の先に地面が着き、沖にいたはずの俺は波打ち際で膝立ちしているところだった。

海水浴客の華やいだ歓声が聞こえる。
道路沿いの並木にとまったクマゼミが忙しなく鳴き声をあげている。
間違いなく、部員たちで遊びに来た海岸だった。

視線を巡らせると、部員たちが好き勝手だらだら遊んでいるのが見えた。
わけがわからずぼーっと膝立ちのまま佇んでいると、同級生の部員がひとり近寄ってきて、「お前どしたん?」と声をかけてきた。

あの不気味な集団の姿がフラッシュバックし、思わず悲鳴をあげそうになったが、のほほんとアイスをかじる同級生の姿を見ていると途端にばからしくなって、「なんでもないよ」と返すしかなかった。

そのあと、俺がひとりで海に浮かんでいるのをずっと気にかけていたらしいそいつから話を聞いた。

なんでも俺は、ぷかぷか浮いていたかと思うと急に沖に向かって泳いで行ったそうで、「おいおいアブねえぞ」と思っていると今度は海岸と並行して泳ぎ、止まったかと思うと、今度は狂ったように海岸に向かってクロールし始めたのだという。

「遠泳の練習でもしてたん?」と同級生は締めくくった。

当然その後は素直に海を楽しむこともできず、バカ話にも愛想笑いを返すだけで漫然と解散までの時間を過ごした。

あの集団はなんだったのだろう。
熱射病にでもかかって、幻覚を見ていたのだろうか。
たぶん関係ないとは思うが、この話には続きがある。

熱中症で倒れた件の後輩部員だが、倒れてから意識が戻らずそのまま亡くなってしまった。

ついでに書くなら、亡くなった時間と俺が幻覚を見ていたのだろう時間もだいたい一致する。

たぶん偶然だ。
たぶん。