代史研究家のD・ダヴェンポートとE・ヴィンセンティが発見した、モヘンジョ・ダロから5キロメートルほど離れた場所にある区域。
辺りにガラス化した石が散乱しており、ローマ学科大学の分析では極めて短い時間に高熱で加熱された結果出来たものだという。
核爆発の痕跡らしき場所が存在し、その場所では今もなおガイガーカウンターが反応するとの主張がある。

インダス文明の古代都市モヘンジョダロの遺跡は周囲5平方キロの広大な遺跡であるが、現在発掘が進んでいるのは全体の4分の1ほどの地域である。
遺跡で見つかった白骨遺体46体は突如、死がやってきたような状態であった。

そのうちの9体には高温で加熱された跡が残っていた。

また、『ラーマーヤナ』の記述に基づき戦闘の日時と場所を特定した研究者によると、炭素14の分析もして戦いの期間を紀元前2030年から紀元前1930年の間と特定したものの、モヘンジョダロにおいては400年程度の食い違いが見られるという。
ずれの可能性としては放射能の影響が考えられるがはっきりしない。

古代核戦争の研究者ダヴェンポートは、発掘対象から外れていて、現地の住人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所を訪れたと報告している。

そこは、黒いガラス質の石が、800メートル四方をびっしり覆っているという場所で、黒いガラス質の石は、高熱で溶けた砂が再固化したものと判明している。
黒いガラス質の石は、テクタイトであるとされ、付近では、この他に溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じってガラス化した壺の破片などの遺物も見つかっている。
これらの高温加熱遺物やガラス化した地域については大規模な火災・火山の噴火などの諸条件が偶然重なって起きたまれな現象であるというのが一般的な考古学者の見解であるが、モヘンジョダロ遺跡のあるインダス川流域において、大規模の火山活動の痕跡は確認されていない。
このような広範な範囲の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界では見つかっておらず、同様の風景は今のところ地表で核実験が行なわれた場所(砂漠)でしか見つかっていない。
また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱線が極めて短時間に照射された状況を想定しない限り考えにくい。
なお、広島市にある広島平和記念資料館には、これらの遺物同様半ば溶けかかりながらも原形を留めたガラス製の一升瓶や、表面のみが溶けた瓦などが展示されている。

ダヴェンポートは、モヘンジョダロで発見された遺物をローマ学科大学に持ち込み、ブルーノ・デイ・サバティーロ教授(火山学)やアムレート・フラミーニ教授(岩石学研究所)らに分析を依頼した。
その結果、問題の遺物は、1000度から1500度の高温で短時間に加熱されたらしいという結果が出たと報告している。