私が子どもの頃に祖父から聞いた話です。
祖父が生まれ育った地域は、古くからの神話伝承の豊富な土地柄であり、これもそういうものの一つかもしれません。
はるか古代に、その地域の国津神がある誓いを立てたのだそうです。

それは、その地域の住人が死ぬ前に本人に死期を知らせるというもので、なぜそのような奇妙な誓いを立てることになったかのいわれは伝わっていません。
ただし死期を知ることができるのはその血筋の氏の長者、つまり本家の家長に限られています。
そのお告げを受けた場合、財産の分与などの準備を万事滞りなく済ませてから、従容と死についた者がほとんどであったと言います。
そしてその死のお告げの形は時代によって変化しながら、近代まで続いていたということです。
例えばこのように。

黒い郵便配達・・・。
主に雨や風の強い夜にその配達夫は自転車でやってきます。
まだ電話がない時代、あっても普及していなかった時代の話です。
風や雨の強い夜半「電報です」とドンドンと戸を叩く音がします。
ただしその音は家長にしか聞こえません。

外に出てみると、帽子を目深にかぶり黒いゴム引合羽の衿を立てた、人相のわからない郵便局員がずぶ濡れで立っていて、無言で電報が手渡されます。
それに目を落として顔を上げると、自転車ごと配達夫の姿はもう見あたりません。
電報には1週間以内の日付が記されていて、読み終えたとたんにこれもまた溶けるように消えてなくなると言います。
そこでその家の主人は何事であったかを悟り、死出の旅路の準備を始めるというわけです。

他にはこんなのもあります。
持ち山の様子を見に行ったときに、慣れ親しんだ道のはずがどうしたわけか迷ってしまい、さんざんさまよったあげく見たことのない大きな寺の前に出ます。
山門をくぐって中に入り、道を尋ねようと本堂に入りますが、蝋燭が灯り線香に火がついているのに人の姿がありません。
そこで何かに誘われるように奥のほうの位牌堂に入っていきます。
位牌堂の入り口には卒塔婆が立てかけてあり、削りあとも新しい一番上のものに自分の名前と法要の期日が記されているのを目にするというわけです。
あっと驚いた拍子に、寺は姿を消し見覚えのある山道の辻に立っているのに気づきます。

また、例祭などでもないのにふらっと氏神の神社に足が向いていきます。
手水をとっていると、水盤の底にゆらゆらと字が浮かび上がってきて、自分が死ぬ日の日付に変わります。
また陽あたりのいい冬日に、子守に逆向きにおぶられた孫の顔を何気なくながめていると、赤ん坊はへくっとくしゃみをして、そのときに舌を出すのですが、その舌がべろーんと長く伸びて、そこに墨で黒々と日付が書かれていたという話もあります。
お告げを受けた者は、そのことを親類・家族、檀家寺の住職に話し、死ぬための支度を始めるのです。
これは少なくとも戦前までは当たり前にあったと祖父はいいますが、子どもの頃の私をからかっていたのかもしれません。
祖父はもう亡くなり、その伝承のあった地から離れていますので、今現在もこのようなことがあるのかどうかはわかりません。
それから明治の時代に一人、このお告げに抵抗した人と白い箱の話も聞きましたが、それは長くなりますので、後日機会があれば投稿したいと思います。