「泣く木」は、栗山町内を流れる夕張川の東側の河畔に江戸時代より生育していた樹齢300年ほどのハルニレである。

昭和7年(1932年)、木が生える河畔の崖と夕張川の間を通る国道の拡張・直線化の計画が持ち上がる。

その際に工事の障害となるこのハルニレを伐採しようと作業員が鋸で挽き始めたところ、木は「キューキュー」「キューヒー」「ヒーヒー」などのオノマトペで表現される「泣き声」を上げると同時に、鋸が折れて使い物にならなくなった。

別の作業員が斧で切り込んだところ柄が折れ、刃先が腹に刺さって出血多量で死亡。

伐採をあきらめ馬力で引き倒そうとしたところがロープが切れ、そのショックで馬が転倒して馬車引きが下敷きになるなど、数々の事故が繰り返された。

結局ハルニレは残され、国道はこの地点で大きくカーブした状態で完成した。

そして道路工事にまつわる事件以来、ハルニレの巨木は地元住民から「泣く木」と呼びならわされるようになった。

昭和29年(1954年)に北海道を襲った洞爺丸台風の暴風で「泣く木」は上半分を吹き折られたが、その後も道路際に怪異な姿を誇示していた。

昭和45年(1970年)、国道234号線の拡張・直線化計画が再度持ち上がる。工事の妨げとなる「泣く木」の伐採問題で町が揺れるさなかの8月22日深夜、北海道北部出身で当時29歳の作業員・Kが酒の酔いに任せ、チェーンソーを用いて一気に「泣く木」を伐採してしまう。

この心無い行為にKは批判の矢面に立たされることとなり、ほどなく町を去った。

一方、伐採には成功したものの根株は掘り起こされることなく残され、国道のカーブも解消されることがなかった。

以来、この地点では「泣く木に魅入られたよう」と称される原因不明の交通事故が多発するようになった。

当時の『女性自身』『週刊平凡』などの週刊誌は「呪いの切り株の怪異におびえる町」として、昭和52年(1977年)にこの周辺で発生した死亡交通事故をセンセーショナルに報道した。

事態に苦慮した栗山の町民は、朽ちかけていた「泣く木」の切り株の周辺を整備するとともに、近隣に生えていたハルニレの若木を「泣く木2世」として移植し、傍らに祠を祀るなどして慰霊に努めている。