大学の夏休みに短期ボランティアで東南アジアに行った時の話です

俺たちのグループはベトナム、カンボジアときて最後にインドネシアへ向かった。
滞在は2週間ほどで、最初は市街地で活動していたんだが、ラスト5日ほどは地方で学校の手伝いをすることになった。

そこはジャングルの中の凸凹道を車で3時間以上走ったところにある集落で、人口は1000人ほど。
でも学校は思ったより立派だった。
近隣の集落からも子供たちが通ってくるかららしい。

学校に隣接している宿舎が俺たちの寝床で、そこには欧米のボランティア団体も滞在していた。
部屋割は2人1部屋になるんだが、折角だからと言うので欧米人たちとペアを組もうということになった。

俺と相部屋になったのはジョージというオランダ人だった。
背が高くがっしりとした体格で顔つきも何かゴツゴツして怖そうでとっつきにくいかなと思ったけど、話してみたらフレンドリーだったので一安心した。

AKB話で盛り上がったw
ちなみに部屋はベッドが2つ並んでいるだけの殺風景なシロモノ。

そして怪異はその夜から始まった。

初日から力仕事の連続で俺はへとへとになってベッドに倒れ込んだ。
寝る前の日課だとか言って腕立て伏せしてるジョージと言葉を交わしてるうちに眠り込んだようだった。
確か9時頃だったと思う。

ところが、急に目が覚めた。
周りは真っ暗。
枕元の腕時計を見ようと首を動かそうとして同時に2つのことに気付いた。

まず首が動かない。
というか身体が全く動かない。

金縛り状態。

そしてベッドの脇に誰かいる。
立って俺を見下ろしている。

暗くてよく判らないが半裸で布のようなものを腰に纏っていた。
胸が平らなので男だと思った。
顔は暗くて見えない。

と、その男がぐぐぐっと姿勢を前に倒してきた。
俺の顔を覗き込もうとしているらしい。
それと共に暗かった顔の輪郭がじょじょに見え始める。
俺は必死に目を逸らした。

しかし首が動かないので視界の左側にしっかり男が入り込んでいる。
顔を見てしまう。
紫がかって生気のない表情。
目鼻立ちは現地人ぽくくっきりとしている。

見たくないのに眼球が吸い寄せられるようにピントを合わせる。

目と目が合った。
そのまま微動だにしない。
男の顔が少しずつ大きくなっていくように感じる。

ヤバい。
このままじゃ殺される。
心に突き刺さるような恐怖を感じた。
俺はそのまま気を失ったようだった。

翌朝、目が覚めてすぐ部屋の中を見渡したが変わったことは何もない。
ジョージも気持ちよさそうに寝てる。

俺はジョージを起こして昨晩何か起こらなかったかと聞いたが何もなかったとの返事。
昨日あったことを話すと夢でも見たんだろと笑われた。

朝飯の時に他のメンバーの前でも話したんだが、そこでの反応も似たり寄ったりで、何だか些細なことで騒いでるみたいで恥ずかしくなった。

その日も初日に輪をかけたような重労働で俺はすぐ寝入った。

急に目が覚めた。

暗い。

時計を見ようとして首が動かない。
そして男が・・・両側にいる。
左側に半裸の男。
そして右側には小柄な人影が見えた。

右側はすぐ壁のはずなのに、確かにそこに佇んでいるのだ。
もやがかかっているようだがどうも老人のようだ。
と、老人が屈み込んできた。

それに合わせたように眼球が動く。

嫌だ。
見たくない。
見たくないのに。

赤黒く皺だらけの顔に目、鼻、口。
ポツンポツンと穴が開いている。
口と思しき部分が何やら蠢いていた。
俺を見ながら何か言っているのか。

頬にひんやりとした冷気が当たった。

顔の周りだけ温度が違う。
左側の男もいつ間にか前屈みになっている。
老人の顔が更に近づいてきて・・・。

気がついたら朝だった。

その朝もジョージに確かめたがやはり何もなかったとのこと。
朝飯の時に今度は2人になったと言ってみたが、またも失笑を買うだけだった。

一緒に食事していた現地のスタッフは心配そうに気遣ってくれたが、彼女も何も解らないようだった。
その時ジョージが笑いながらこんなことを言った。

ジョージ「お前日本人だから恨まれてるんだよ、昔日本軍がインドネシアでどんな酷いことをしたか知らない訳じゃないだろ?」

それを聞いて俺は笑えなかった。
そうかも知れないとの思いが頭を掠めた。
ふとインドネシア人の子を見ると眉を顰めて俺とジョージを見比べていた。

その日は今までと比べて肉体労働は少なく、ジョージと夜中まで喋った。
ジョージたちの団体は明日引き上げることになっており、彼はやっと文明社会へ帰れると喜んでいた。
俺も寝るのが億劫だったこともありその夜は1時過ぎくらいまで起きていた。

やはり目が覚めた。

直後に恐怖が襲ってくる。
ベッドの周りを黒い人影に囲まれていた。
大きさはまちまちで半裸の人がちらほら見えた。
子供もいた。

俺が目を覚ますのを待っていたかのように一斉に屈み込んできた。
視界に覆い被さってくる顔、顔、顔。

青黒い顔、紫の顔、白い顔、しかし無表情なのは同じだ。

睨んでいるというのではないが、とても正視できない。

もうダメだと思った。
見えるのは顔だけ。
怖気が身体中を駆け巡ってもうどうにもならなかった。

しかも前二晩と違って一向に気が遠くならない。
今夜が最期なんだと悟った。
もう行くところまで行ってしまうんだと。

俺は口の中で謝罪の言葉を繰り返した。

戦争の時ごめんなさい日本軍がごめんなさい。

迫る顔は止まらない。
そして顔がぬちゃあっとした感触に包まれた。

その時、なぜか口が開いて息がはああっと漏れた。
そのまま息が吸えなくなってやっと意識を失えた。

その日の朝は恐怖が生々しく残っていてひどく気分が悪かった。
ジョージに顔色が真っ白だと言われた。

俺の様子を見て他のメンバーもさすがに心配になったらしく、今日は休んだ方がいいと口々に言ってくれた。

しかし部屋にいるよりも働いていた方が気が紛れるからと断り、その日はインドネシア人の女の子たちと一緒に食事係をすることになった。

ジョージたちは昼過ぎに出発したが去り際俺に向かって「お前のじいさんかひいじいさんがこの村の人たちを虐殺したんじゃないか?日本は過去の過ちに真摯に向き合わないといけない」

そんなことを大真面目な顔で言った。

後から思い出すと酷い暴言なのだが、その時はそれも有り得るかもと思っていた。

でないと他の日本人に何も起きていないことの説明がつかないじゃないかと。

俺の側にいてジョージの言葉を聞いたインドネシアの子は何とも複雑そうな表情を浮かべていた。俺は申し訳ない気持ちになってしまってどうにも居心地が悪かった。

そして4日目の夜、インドネシアで過ごす最後の夜だ。
明日になれば日本へ帰れる。
しかし、今夜はあの部屋に1人で眠らなければならない。

誰かに一緒に寝て貰おうかとも思ったが、女の子じゃあるまいしプライドが邪魔して言い出せなかった。

いっそ徹夜しようとも思った。
帰りの車内や飛行機で寝ればいいからと。

しかし1時半頃になると疲労感がどっと襲ってきて強烈な睡魔に襲われ、ダメだと思いながら眠りに落ちていった。

目を覚ましたら朝だった。
何も起きなかった。
夢も見なかった。
俺はベッドに上半身を起こしたまましばらくぼんやりとしていた。

特に気分が悪い訳でもなく、久しぶりに気持ちの良い朝だった。

朝飯の後現地のスタッフとお別れセレモニーがあったのだが、その時前日一緒に作業した女の子が昨夜のことを尋ねてきたから何も無かったと告げると妙に納得したように頷いた。

俺が何か心当たりがあるのかと訊くと、女の子は声を顰めて「貴方は許されたんだと思う」と言った。

どういうことかと尚も訳を訊く。

女の子「貴方は恨まれていたんじゃなくて、改められていた」

俺「改められた?」

女の子「そう。貴方も含めるべきか否か」

俺「含めるって??」

女の子「日本軍はインドネシアで酷いことをしたとあの人は言ったけど、オランダはもっと酷いことをした」

俺「あ・・・え?まさか」

女の子「あの人は決まっていた。改めるまでもなかった」

今更のように背筋を悪寒が這い上がっていった。
最後の夜何も無かった理由が解った気がした。