このお話は投稿ネーム『ネーハイシーザー』様から投稿されたお話です。
※著作権は投稿者様の物ですので無断での引用、転用はお控え下さい

長文、駄文なので時間がある方は、お付き合い下されば幸いです。

※前置き(約40年前の昔話の内容を聞いて文章に表したので、多少の脚色と表現下手な部分は御容赦下さい)

先日、オイラの本家で法事があった。
自分が生まれる約5年前に亡くなった大爺様(享年99歳)の法事だった。(ちなみにオイラは、東北地方の在住で現在27歳です)

その時、約20年ぶりに叔父と再会した。
叔父(58歳)は国家公務員で転勤族。

昨年、たまたま実家の在る市(本家の近所)の庁舎に移動になり、10年ぶりくらいで本家の法事に顔を出したらしい。
その年の法事は30人以上の兄弟・親戚が集まった。

生存する一族が(ほぼ全員)集まった事自体が非常に珍く、本家の親父さんも感激してしまい、夕方から本家の大広間で(飲み会?)が開催された。

正月並みの酒、料理が用意されていて、「流石は本家の法事」と驚いた。
そして、叔父の隣に座り食事をした時の事だ。

叔父:「(オイラ)君の顔を見るのは20年ぶりかな?大人になったなぁ!」

あまりの懐かしさに叔父は目を細め、暫くオイラを見ていた。

オイラ:「もう、その位になりますよ、自分が小学校に入学する時、筆箱をプレゼントして貰ったのを未だに憶えていますよ!」

そして、お互いの近況を話し始めた。
その内、学生時代の話題になり、叔父が言った。

叔父:「(オイラ)君は同窓会に出席するタイプの人間?」
オイラ:「仕事の予定が無ければ。出来るだけ出席する様にしています」
叔父:「中学、高校、大学時代に(変わり者、クセの強いヤツ、いじられキャラ)はいたかい?」
オイラ:「十人十色で個性的なヤツばかりでしたよ!でも・・・自分の時代には、いわゆる(イジメ的な事件)が無かったのが、いい思い出ですかね」

叔父は笑顔で頷いて聞いていた。
そして、思い出したように・・・言った。

叔父:「あ~っ!そういえば・・高校3年の時・・クラスに1人だけ・・なんか嫌なヤツがいて、一度だけ(仕返し的な意地悪をして)ハメってやったな~」と言い出した。

~ここからが本題です《叔父の回想》~
ここに登場するのは以下の人物です。
相川(仮名)オイラの叔父さん、高校3年生→以下「A」
馬場ちゃん(仮名)叔父さんの同級生で「クールな理論派」→以下「B」
千葉ちゃん(仮名)叔父さんの同級生で「争い事を好まない温厚な性格で人情派」→以下「C」
ヤナセ○○(仮名)映画、テレビドラマに出てきそうな、生粋の世間知らずで、超~金持ちのボンボンを絵に描いた様な男。
で、且つ現代で言う(チャラ男)で学力が物凄く低いヤツ→以下「Y」

当時、A(叔父さん)は県下でも3本指に入る進学校に通っていた(偏差値65以上だったと酒を飲みながら自慢していた)。
そして、いつもABCのトリオ(仲良し3人組)で行動していた。

高校3年になりクラス変えがあった。
その時、初めて「Y」と一緒のクラスになった。

3人のクラスは「私立文系の大学進学を希望する生徒」が集められているクラスで、授業もその受験勉強を視野に入れて行われていたらしい。

最初の内「Y」の事は気にも留めていなかったが、数週間が過ぎて、ある事に気が付いた。
Yは休み時間、誰とも話をしない、いつも1人ぼっちなのである。
仲間はずれにされているわけでもないが、いつも机に座って、週刊誌の「少年J、少年C、少年M等」を読んでいるか、寝ているのである。

ここは進学校、なのに授業が終われば即ゲーセンの毎日だった。
その生活ぶりが少し気になった。

彼の中学校時代の同級生達に、彼の事を尋ねてみると「あのバカ(低学力)が、この高校に合格した事自体が未だに信じられない」という答えが返って来た。

別の同級生に尋ねると「Yの伯父が県議会議員なので、裏で圧力が・・」とか「Yの親父がここの学校の卒業生で、多額の寄付をしたのでは・・」とか「自分達の受験時、倍率が0.90だったから、1人でも多く入学者が欲しいから・・」とかグレーな噂ばかりだった。

実際、Yは勉強が出来なかった。
中間テストは常に「赤点」もしくは、ギリギリの成績で補習と追試の常連だった。
そうしている内に、なぜかYが自分達の話に割り込んでくる様になった。

Yが「自分の過去(中学時代の事)」を知らないと思ったらしい。
それも、突然、後から「オマエら馬鹿じゃねーの、そんな時は・・・」とか。
「馬鹿だな~。なんだ、そんな事ならオレが・・親父に頼んでやるよ」とか。

とにかく、上から目線で馴れ馴れしく話しに割込んでくる。(当時、上下関係の厳しい部活の先輩ですら、そんな口の利き方をする人間はいなかった、と叔父は少し「思い出し憤慨」の口調で言っていた)

どこか「俺は金持ち、上流階級、特別人間」、しかし、「君達は一般庶民」と言った様な口調だった。

実際、彼の父親は会社を3つ経営しており、市内では、かなりの名士だったらしい。
次第に馴れ馴れしく話に割込んで来る行為が、非常に不愉快になり(低学力の世間知らずの金持ちのボンボンからのバカ呼ばわり、上から目線の態度)不快感が蓄積されていた。

そして、一番困った(迷惑だった)のが、昼休み、学食で3人並んで順番待ちをしている時、突然自分達の前に入り込んで来て「オレがおごってやるよ」と言って、3人分の代金を勝手に払ってしまう事。
「いいよ、自分の分(代金)は自分で払うから」と言っても「いいから、いいから、おごってやるよ」と言って、自分だけ別の席に座り、早々に食べて学食を出て行く。
それも、1回2回の事ではないのだった。(20回以上は、おごり逃げ(!・?)を経験したと言っていた)

更に、下校の途中、某有名ハンバーガー店に3人で入る場面を見ると、どこからともなく「Y」が入って来て「ここもオレがおごるよ」と言う始末なのだとか。

3人は呆れるというより、不気味に思える程だったらしい。(これも10回以上もあったらしい)

あまりにも「おごり癖(おごり病!?)」が有難迷惑だったので、
A:「1度、ビシッと文句を言ってやる!」と言い出した。

しかし、それを聞いたBは、
B「ヤメとけって!別に好きな様にさせたら・・俺達に何も害は無いんだから、その(見返り)を要求されたら、その時、改まって文句を言えば良いんじゃないか?彼と付合うのも、ここにいる(高校在学中)あと数ヶ月の間だし」と言った。

実際、「おごられっぱなし」は、どことなく気が引けるし、気分が悪い(仲の良い友人間のギブ&テイクなら問題は無いが)。

Aは少し考えた末、その場はBの言う事が「妥当な正解・判断」だと感じたので納得した。

しばらくして、季節は11月の下旬、3人は来るべき受験に備え、連日「放課後の補習」を受けていた。

補習が終了する時間は、午後5時30分過ぎである。
そんな或る日の下校時、3人は歩きながら「志望大学」の話をしていた。
一通りその話題が終わると、Aが話題を変えて話し出した。

A:「なぁ・・Yの事どう思う?」と。

BCは歩きながら(何を急に言い出すんだ!)という表情をした。
歩きながら暫く沈黙が続いた。

B:「人間的には悪いヤツじゃないんだが・・あの性格じゃ・・この先、本当の友人なんか出来ないだろうな。困った時に相談する相手もできない。たぶん。・・お金の使い方が・・オカシイもんな!」

Cは以前Yに「あまり自分達に、おごらなくても良いよ。毎回そんな事をしていれば、君のお小遣いが少なくなるんじゃないか?」と、さり気なく言ったらしい。
しかし、それに対し返って来た言葉が、
Y:「大丈夫、大丈夫!3人におごってやる金が無くなれば、又、親父にもらえばいい」と。

C:「Yは人(自分より経済的に劣る人間)におごる事で優越感に浸り、自己満足している感じの人間。実家が金持ちなのは判るけど、お金は親が仕事をして稼いだ物、自分は湯水の如く放蕩する・・救いようが無いな。将来、あの調子で社会人になり会社の後継者になったらどうするんだろう?」と言った。
Cが他人の事を悪く評価するのをAは初めて聞いた。

C:「一度、Yに聞いた事があるんだ(1カ月のお小遣いはいくらなの?)って。そしたら、(決まっていない、でも・・だいたい25000円くらいかな。学食での昼食代は別に15000円貰っている。無くなれば、その都度、親父に10000円づつもらう)って言っていた」

それを聞いたAとBは目がテンになったらしい。

当時の高校生の1ヶ月平均のお小遣いは2500~3000円だった。
シングルレコードが600円、LPレコード(現在のCD?!)が2500~2800円。
ラーメン1杯が350~450円の時代だったらしい。
高校生が1日(日勤の)バイトをしても、3200円だった。

暫く3人は無言で歩いていた。
3人が交差点の横断歩道に差し掛かった時、信号が赤になり立ち止まった。
そして数秒後、Aが鼻で「フンッ」と笑った。

BC:「なんだ?どうした急に!何がオカシイ?」と言ってAの顔を見た。

A:「あのさ~!オレ、前々からYに復讐・・じゃなく・・仕返し・・じゃなく・・そう、お灸を据えてやろうかと思っていたんだ」と言い出した。

2人はどんな「お灸」を据えるんだ?あまりにも陰湿な手段、方法なら反対だと言った。

信号が青に変わりAは歩きながら、その方法を説明した。
BCは歩きながら暫く考えたが、「まあ、それなら・・いいか!直接、自分達が(お灸を据える)ワケでもないし・・責任は自分自身だし」と言った。

A:「とにかく今、自分達の最大目標は大学合格だから、まずは、そっちに全力投球!かんばろうぜ!」
と言って、家路についた。

《そして、数ヶ月後》
年が明け2月に入り、3人は関東エリアにある私立、都立、市立の大学を受験した。
結果、本命の大学(第一志望)に合格。
滑り止めも2校受験、それも見事合格した。

Yは、どういう経由(手段)でそうなったか解らないが1月中旬に、なぜか推薦入学で地方の私立大学商学部に合格していた。
赤点の常習犯(偏差値39以下だったらしい)が、内申書をどういじって(下駄を履かせても)も推薦される成績ではないのに・・・。

そして2月の中旬、3人は行動を起こした。

まず、AがYに話かけた。

A:「Y君、自分達3人は明後日から自動車教習所に入校するんだ。君も一緒に自動車の免許を取りに行かないか?」

Y:「えっ!一緒に誘ってくれんの?」と意外な表情をして、即「いや~実はオレも行こうと思っていた所なんだよね」と言った。

話は直ぐに、まとまり明後日から自動車学校に通う事になった。

当時、その高校は大学の合格が確定した生徒に限り、自動車教習所に通う事を許可していた。
「早退、遅刻(途中から授業に出席)」も自動車学校の学科、教習が理由の場合は許されていたらしい。

教習所は高校生(もうすぐ卒業生)の受講者でごった返しているくらい混んでいたが、Bの親戚が教官をしていた関係で、4人揃って「朝一」の学科、教習を優先的に受ける事ができた。

教習は第1段階~第4段階(途中、修了検定、最後に卒業検定だった)があった。

当時、都道府県の運転免許センターに学科試験(本試験)を受験する為には、教習所で行う「模擬試験(道路交通法・関連法規の問題)」で(たしか90点以上を3回以上)取らなければ本試験を受験できない、という決まりがあったらしい。(今、現在はこの制度の有無は判らないが・・)

ABCの3人は2回の模擬試験で難無く、2回とも90点以上を取ったのだが、Yは学力が伴わない為か2回とも40点以下だった。
その日の模擬試験修了後、AとYが自販機の近くで缶コーヒーを飲んでいた時、

Y:「(オレは)学科が苦手だ。もう、免許取得は絶対に無理だな~」と落胆、溜息まじりに言うと、隣で缶コーヒーを飲んでいたAは《悪魔の一言》を囁いた。

A:「なんだ!そんな事か、心配するなよ!今まで何度もおごってくれたじゃないか、その御礼はするよ。これから模擬試験の時は教室の一番後の席に座り、両隣にBとC、前の席にはオレ(A)が座るから、(模擬試験の)答を見ろよ。」と言い、最後に「必ず、みんな『一緒に、ここの自動車学校を卒業』しようぜ」と言った。

それから、Yは遠慮なく3人の模擬試験の解答を見て(カンニングで)、3回の90点を取る事ができた。

卒業検定も4人供、一発合格で無事に自動車学校を卒業した。
軽く缶コーヒーで乾杯もした。

3月24日に教習所を卒業(たしか3月24日金曜日だったと叔父は記憶していた。その日は叔父の弟の誕生日なので覚えている・・と言っていた)、さて、いよいよ本試験を受けに行こうという話しになった。

A:「ところで、運転免許センターには、いつ行く?自分は来週の月曜日にでも行こうと思っているんだが・・」と言い出した。
BCも月曜日に行く事にした。
じゃあオレも、と言うことでYも一緒に行く事になった。
そこで、Yの(お約束の)「伝家の宝刀」が口から出た。

Y:「じゃあ、オレが親父に頼んでオマエ達3人を車で免許センターまで連れてってやるよ」と。

実は4人が通っている高校がある場所から運転免許センター(隣のS市にある)まで行くには、電車で約2時間バスで30分くらいは時間がかかるのである。
しかし、各自の事情があって、
A:「ごめん、(S市に住む母方の)爺さん婆さんから「上京する前に一度顔を見せに来い、合格祝いを渡すから、日曜日に必ず来い」って言われていてね。」と言い、断った。

B:「おれも、(S市に住む)従兄弟の兄さん(今春、東京の大学を卒業)が酒(合格の祝杯)を飲みながら「東京での暮らし方」を教えてやる、日曜日に一度顔を見せろ・・と言われていてね。」と言い、断った。
AとBは、各々そこから免許センターに直行すると言った。

Cは、もともとS市の隣の町から高校に通っていた(免許センターまでバスで20分だったので)、直行する事になった。

結局、Yだけが親父の車で来ることになった。

3月27日(月曜日)、免許センター。
学科試験の受付時間は(AM8:30)からである。

季節が免許センターの繁忙期だったので、受付開始時間5分過ぎ、既に受付窓口には100人以上の行列ができていた。

ABは一緒に朝一で並び、(受付番号が)7番と8番であった。
数分後、Cが来て受付をし、番号は124番となった。
3人は出題問題の予想をしながらYを待った。

(AM9:20)過ぎになり、「受付時間の締切りは9:30なのに、まさかYは寝坊したのか?」と噂をしていた。

受付締切り時間の5分前になると、高級セダンがセンター玄関口に止まり、そこからYが悠々と降りてきた。

A:「Y、遅いぞ!締切り5分前だぞ~!早く受付しないとマズイぞ!」と急かすと、
Y:「大丈夫!10分くらい遅れてもセンターの職員は必ず受付けるよ」と笑顔で言った。

余裕が有るのか?図太いのか?世間知らずなのか?非常識なのか?世の中をナメ切っているのか?それとも、ただの・・虚勢?・・3人はYの言動が理解出来なかった。

Yの受験番号は299番。
受付の一番最後の番号であった。

4人は無事に受付を終え、試験前に自販機の横にある長椅子に座り缶コーヒーを飲み、世間話をしていた。

ABは上京してからのアパート生活の事を話していたが、唯一Cはあるモノを見ていた。
それは、Yが真剣に練習問題を解いている光景である。
そして、距離にして右横1m先の視界にある問題集の問題を横目で覗いていた。

10秒ほど凝視していた。
次の瞬間、目を伏せて鼻で溜息を漏らした。

CはYに何かを話しかけようとした瞬間、館内放送が流れた。「本日、学科試験を受験される方は、2階201号室、202号室の教室に移動して自分の受験番号の貼ってあるテーブルに・・(以下、省略)」

4人は試験会場の教室に入り自分の受験番号(座席)を捜した。
1教室150人の受験生が収容出来る教室である。

1番から150番の受験番号は201号室、151番から300番の受験番号は202号室である。
Yも201号室に入ってくると、Aが言い放った。

A:「おいおいっ!Yは隣の202号室だよ。」と。
次の瞬間、Yは全身がフリーズした。

自動車教習所の様な(自由な席順)ではないのだ。
暫く、唖然とし無言で立ちすくんでいた。
踵を返し202号室に向かうYに対し、Cが激を飛ばすように言った「Y君、必ず、絶対に頑張れよ!」と。

歩きながら後姿で数回うなずくYは、まるで「屠殺場に向かう家畜」の様に見えた。

1時間後、4人は合否発表の会場(合格者番号の表示される電光掲示板の下)に立っていた。

当日、受験した人間が固唾を飲んで結果を待ちわびている。
そして、「只今から学科試験の合格者番号を掲示いたします」と館内放送が流れた。
数秒後、電光掲示板に合格者の番号が表示され、館内から「ウォッ~」と、どよめき(個人的な歓喜、小さくガッツポーズをする者、友人同士握手する者達、そして、小さな落胆の溜息)が上がった。

ABCの受験番号は当然表示されていた、がYの299番は(当然)無かった。
数秒後、Yに対して・・・

A:「まあ、今日は、たまたま運が無かっただけ、明日、又ガンバレよ」と(明るい声で)言い、
B:「今日1日、一夜漬けで勉強すれば大丈夫。あと・・引っ掛け問題に気をつければ問題無いよ」と言い(明るい声で)、慰めていた。

Cは横目でYを見て無言のままだった。
周りの合格者達は喜びを隠せず饒舌に仲間と健闘を称えあっていた、が4人の間に微妙に重い空気が漂っていた。

「学科試験に合格された方は5番窓口で免許証交付の申請手続きをした後、写真撮影、視力検査(以下、省略)・・」と館内放送が流れた。
それを聞いたAは、

A:「じゃあ、そうゆう訳で、自分達は窓口に行かなきゃならないから・・」と言い、Yに軽く別れのアイサツをして、3人は5番窓口に向かった。
Yは無言で足早に出口に向かい会場から去った。

3人はその光景を見ていた。

ABは表情には出さないが「良い気味だ!(やっと)溜飲が下がった。」という目をしていた。

ここ運転免許センターは実力のある人間が運転免許証を手にする場所である。
親のコネ、家柄、経済力が一切影響しないエリアである。
CはYの後姿を哀れな人間を見ている目をしていた。

それから数日後、各々上京し、東京での学生生活に入った。

それから、約1ヶ月が過ぎた。
丁度、季節はゴールデンウィークである。
3人は東京の居酒屋で一度、食事(酒飲み)をしようという話になった。

会ってお互いの「大学生活の事、彼女は出来たか?バイトしているのか?」等の話題で盛り上がっていた。
話が一段落したところで、Aが言った。

A:「なあ、Cに1つ聞きたい事があるんだけど・・」
C:「なに?改まって」

A:「免許センターで試験直前、Yに(Y君、必ず、絶対に頑張れよ)って、ナゼ言ったの?」
C:「ん?自分が?そんな事?言った?・・いや~・・言ったカモな~!」と苦笑いを浮かべた。

Cはあの時の場面について話始めた。

C:「学科試験の前に4人、自販機の近くで缶コーヒーを飲んでいただろう?2人は、たしか雑談をしていたと思う。その時、Yは練習問題を解いていたんだ。たしか10問の問題を(○×)でマークしていた。それを覗いていたけど、10問中3問しか正解がなかったんだ。その瞬間、(今日Yは確実に《不合格》になる)と直感した」と言った。

そして、次の瞬間、なぜか漢字2文字が頭をよぎった。
「Yは、いずれ大学を《中退》する」って。

当時、運転免許取得者は(県内版の新聞に名前が掲載、発表されていた)らしい。
Cは一番遅く、上京したが4月11日を過ぎてもYの名前が新聞に掲載される事はなかった。

その当時、自動車教習所を卒業した日から6ヶ月以内に学科(本試験)に合格しなければ「本試験
の受験資格が無くなる」・・と言われていた。(現在もそうなのかな?)

C:「Yは6ヶ月以内に学科(本試験)に合格できない気がした」と言った。
ABは黙って話を聞いていた。
が、直ぐに話題を変えて飲み始めた・・・

《ここで話は現在に戻る》
オイラ:「結局、そのYという人はどうなったの?」
叔父「:わからない。でも、2年生に進級したウワサは耳にしたが・・大学は卒業していないと思う。15年後、高校の同窓会があったが、同窓会の幹事に聞いても(案内状の返信ハガキも来ないし、中学校の同級会にも出席していないらしい)詳しくは判らない」と言っていた。

地元の42歳の合同「厄払い」の通知(それを口実にして、同窓会を開催)を出しても、返事が来ないので、幹事役の者がYの実家に直接電話をしても「息子は今忙しい為、連絡が取れない。たぶん出席できないと思う。」と明確な返事を避けられた。

「せめて連絡先だけでも、教えて頂けませんか?同窓会名簿を作成するので」と言うと、「今、海外で仕事をしているみたい・・住所、電話番号は知らされていない。」と要領を得ない(支離滅裂の)事を言ってきたので、薄々(これは、あまり深追いしてはならない事情がある)と感じたらしく、「では、連絡が取れましたら、(高校時代同級生だった幹事の○川が連絡を待っています)とだけ、お伝え下さい」と言って電話を切ったらしい。そして、未だに幹事に連絡は無いらしい。

叔父:「まあ、あの当時は(ざま~見ろ!と思っていたけど)・・彼が亡くなったと言う噂を聞かないので、どこかで生きていると思うけど、(オイラ)君の周りにはYの様な人間がいない事を祈るよ。おぉ、もうこんな時間か、もう(御いとま)をしなきゃ。じゃあ、又いつか」と言って帰って行った。

自分の周辺にはYの様な人間はいないが、皆さんの周りには1人くらい・・心当たりがありますか?

投稿ネーム(ネーハイシーザー)