このお話は投稿ネーム『ネーハイシーザー』様から投稿されたお話です。
※著作権は投稿者様の物ですので無断での引用、転用はお控え下さい
このサイトを閲覧されている皆さんは「奇跡」や「惨劇」の起こる条件は何だと思いますか?
自分の場合は(日常では有り得ない「偶然」が3つ以上重なり合った時に起こる)と感じます。
これは、約30年前(昭和63年)に身近で起こった事です。(月・日付・祭の内容は架空の設定です)
ここに登場する、主人公は(仮名)ひで○さ・以下→(H)君とします。
東北の某県に生まれ、家族は祖父・祖母・両親・兄・弟の7人家族。
Hは次男。
県立の工業高校(機械科)を卒業後、東京の工業系の専門学校に通っていた19歳の青年です。
高校時代は「多少ヤンチャで、スポーツマンで、メカニック(機械系)が大好きな男」、将来は「自動車整備士」になり、自分の整備工場を持つ野心を持っていました。
そんなHは上京し、親に無断で中型自動二輪免許(現・普通自動二輪免許)を取得し、無断でバイク(250cc)を購入した。
※著作権は投稿者様の物ですので無断での引用、転用はお控え下さい
このサイトを閲覧されている皆さんは「奇跡」や「惨劇」の起こる条件は何だと思いますか?
自分の場合は(日常では有り得ない「偶然」が3つ以上重なり合った時に起こる)と感じます。
これは、約30年前(昭和63年)に身近で起こった事です。(月・日付・祭の内容は架空の設定です)
ここに登場する、主人公は(仮名)ひで○さ・以下→(H)君とします。
東北の某県に生まれ、家族は祖父・祖母・両親・兄・弟の7人家族。
Hは次男。
県立の工業高校(機械科)を卒業後、東京の工業系の専門学校に通っていた19歳の青年です。
高校時代は「多少ヤンチャで、スポーツマンで、メカニック(機械系)が大好きな男」、将来は「自動車整備士」になり、自分の整備工場を持つ野心を持っていました。
そんなHは上京し、親に無断で中型自動二輪免許(現・普通自動二輪免許)を取得し、無断でバイク(250cc)を購入した。
未成年者なので東京在住の従兄弟(社会人)に保証人になってもらって。(親にバイクを購入する事がバレると猛反対をされる為、契約等を従兄弟に頼んだらしい)
従兄弟:「(バイクの)支払いは、どうするの?親に借りるの?」
H:「学校の授業は午後5:00で終わるんです。そして、今、午後19:00~23:30まで、アパートの近所の焼肉屋でバイトをしている。(夜勤なので)時給単価もいいし、夕飯も食べさせてもらえる。そのバイト代で支払うつもりです」
従兄弟:「気をつけてバイクに乗らなきゃダメだぞ。都内の交通量は田舎と比べ物にならないくらい違うんだからね」と釘を刺された。
Hは「筆まめ」だったらしく、高校時代の仲間(地元に就職)には頻繁に手紙を出していたらしい.
(昭和63年。当時は一般的に携帯電話の普及していない時代、メールの類は存在しない)
手紙の内容は「専門学校の授業内容は高校の授業に比べて、レベルが高く面白い、とか・・新車のバイクを買って休日は環8を走っている、とか・・専門学校の夏休みは8月6日からで、帰省したら同級会をやろう、とか」前途洋々の文字で手紙は書かれていた。
仲間からの手紙の返事には「夏休み(お盆)は県外に行った悪友達も多く帰ってくるらしい、同級会の件はこっちで手配するから。
それと、又、8月6日の夏祭(笛、太鼓で音頭をとり、数日間、町中を数台の山車が練り歩く、1年で地元が一番盛り上がる祭)に一緒に出て山車を引っ張り、バカ騒ぎをしようぜ・・祭大好きコンビの約束だぞ!」と返事が来た。
Hは、小学5年生から高校卒業する8年間、毎年その夏祭りに参加していた。
夏祭が帰省時で1番楽しみだった。
Hは帰省する1週間前、実家に「8月6日に帰るから」と電話で連絡していた。
8月6日の朝、午前7:30頃。
Hの実家の電話のベルが鳴った。
県警交通課からの電話だった。
県警察:「○○さんのお宅で間違いないでしょうか?(Hさん)という方は御家族の方でしょうか?」
Hの父親:「はい、Hは息子ですが、何か・・?」
県警察:「(Hさん)は本日、午前6:40頃、(県内の)国道○号でバイクの交通事故で亡くなりまして、御連絡を差し上げたのですが・・・」(H、享年18歳11ヶ月)
まさに、晴天の霹靂。
実家の誰もが、Hは「東北新幹線」か「寝台特急あけ○○」で帰って来るのだと思っていた。
家の時間が一瞬にして止まった。
Hの祖父は、その訃報を聞いた時、こう叫んだらしい、「な~ぁ、なんたがぁ・・長生ぎだ~すもんでねなぁ~。おい、さぎにいげばいがったぢゃ」と。
(標準語表記)→「なんで?なんでなんだ?・・長生きなんかするものじゃないな、自分が先に逝ってしまえば良かった(先に墓に入ってしまえば、孫の死に目に会わなくても済んだから)」と言う意味。
Hの祖母は、目頭を抑えたまま膝から崩れ落ち、「うぅ~うぅ~」と声にならない声で泣くだけだった。
Hの葬式が滞りなく営まれた。(葬儀中、若くして逝った青年の遺影の前で、同級生達は瞬きもせず座っていた。)
Hの両親の落胆ぶりは、傍で見ていて気の毒の一言でしかなかった。
父親は仕事から帰ると、仏壇の前で体育座りをして、Hの「遺影」をぼんやりと眺めていた。
母親は勤めていた職場を退職して、「毎日仏前で息子の霊を弔う」と言い出した。
さすがに、母親の兄弟姉妹達は「そんな事をして、H君が喜ぶと思うのか?今は辛いだろうけど・・・彼の分まで一生懸命『長生き』をして、彼の為に出来る事をやってあげるのが一番の手向けじゃないのか。」と諭すように説得した。
長男(Hの兄)は家族、親戚が落胆の中、「なんで、こんな事になったんだろう」と考えていた。
数日が経ち、少しずつ冷静になり、彼は彼なりに考えた。
そして、様々な偶然が重なったのかなぁと思い始めたのだった。
①東京の専門学校の夏休みが8月6日からだった事。(1/365日の確立)
②地元の夏祭(山車を引っ張り、町中を練り歩く)が8月6日だった事。(1/365日の確立)
③(バイトが終わり、直ぐに)バイクで高速道路を徹夜で走ってきた事。(後に知った事実)
④(母方の)爺さんの祥月命日が8月6日だった事。(爺さんも若くしてバイク事故で他界)した。
これも(1/365日の確立)
この4つは、後からの「こじつけ」だと言う人もいたが、この4つの偶然が重なった事故だと彼は思った。
《もしも・・仮に・・》
① 東京の専門学校の夏休みが8月6日からだった事。
もしも、8月5日から夏休みだった場合、4日の夜、バイトが終わり、1晩睡眠を取り、5日の昼から余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
途中、サービスエリアで休憩をとりながら・・。
もしも、8月7日から夏休みだった場合、夏祭は前日(6日)なので、100%参加は無理。
諦めて、後日、(8日以降)、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
② 地元の夏祭が8月6日だった事。
もしも、8月5日が夏祭りだったら、夏休みの始まる前日に参加することは無理なので、諦めて、後日、(6日以降)、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
もしも、8月7日が夏祭りだったら、夏休みの初日(6日)の昼間、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。翌日に祭に参加することは可能なので。
③ (バイトが終わり、直ぐに)バイクで高速道路を徹夜で走ってきた事。
もしも、(夜勤の)バイトをしていなかったら・・・計画的に余裕を持って、高速道路を走って来ただろう。
8月5日の夜、早めに睡眠をとり(例)午後20:00頃に就寝し、翌早朝の午前4:30頃、起床して、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
バイクなら、約8時間で地元に帰省できたはず。(しかし、バイトをしなければバイクの支払いが出来ない、という矛盾が生じるのだが)
これは、若い(18歳)自分の「体力の過信」だったと思う。
「1日くらいの徹夜は大丈夫だ」と思ったに違いない。
夜、暗い高速道路を徹夜で走ってきたのだから、昼間の2倍以上の体力、注意力が必要になったと思われる。
もし、夜中でも仲間2人でツーリングで来たのなら、お互いがお互いを気遣い、休憩を数回取り、話が違っていたのかもしれない。
④ (母方の)爺さんの祥月命日が8月6日だった事。(爺さんも若くしてバイク事故で他界)
これが親戚一同で一番の問題になった。
「なんで、よりにもよって8月6日なんだ!」と嘆きの声が上がった。
一族にとっては、一番あってはならない、最も嫌な偶然である。
爺さんが若くしてバイク事故で他界したのは昭和38年だった、この事実(祥月命日が8月6日)は変えようが無いので、どうにもならないのだが・・・せめて、H本人が「8月6日は・・たしか・・爺さんの命日だ・・」と記憶していれば、「一応、気をつけて運転しよう」と思ったかもしれない。
当時、彼(長男)は「4つの偶然が8月6日に重なり合ってしまった為、起こった惨事(事故)だ。思えば・・この4つの偶然の内、どれか2つ欠けていれば、事故に合わなかった」と言っていた。
今春、運転免許を所得した若葉マークのドライバーの皆さん(バイクのライダーの皆さん達も含みます)、自分の腕(運転技術)を過信せず、若いから大丈夫という(体力)の過信をしないで下さい。
交通事故は自分の不注意《だけ》では起こり難いものです。
自分は、ごく当り前の正常運転をしていても、相手の不注意(相手の悪い偶然)から起こる場合も有ります。
何かの(悪い)偶然が幾重にも重なり合って起こる(現象・結果)が「事故(災難)」だと、今でも思います。
もし、《若くして(交通)事故か何かが起こり、将来が台無しになった場合》、悲しむのは「御両親」なのですから。
ごく一部の例外(病気・天災・特殊な災難等)を除き「子が親に葬式を出させる事」が一番の「親不孝」です。
そして「御長寿の年寄りに、孫(ひ孫)の遺骸を見せる事」は「一族の大罪」である・・・と実感します。
投稿ネーム(ネーハイシーザー)
従兄弟:「(バイクの)支払いは、どうするの?親に借りるの?」
H:「学校の授業は午後5:00で終わるんです。そして、今、午後19:00~23:30まで、アパートの近所の焼肉屋でバイトをしている。(夜勤なので)時給単価もいいし、夕飯も食べさせてもらえる。そのバイト代で支払うつもりです」
従兄弟:「気をつけてバイクに乗らなきゃダメだぞ。都内の交通量は田舎と比べ物にならないくらい違うんだからね」と釘を刺された。
Hは「筆まめ」だったらしく、高校時代の仲間(地元に就職)には頻繁に手紙を出していたらしい.
(昭和63年。当時は一般的に携帯電話の普及していない時代、メールの類は存在しない)
手紙の内容は「専門学校の授業内容は高校の授業に比べて、レベルが高く面白い、とか・・新車のバイクを買って休日は環8を走っている、とか・・専門学校の夏休みは8月6日からで、帰省したら同級会をやろう、とか」前途洋々の文字で手紙は書かれていた。
仲間からの手紙の返事には「夏休み(お盆)は県外に行った悪友達も多く帰ってくるらしい、同級会の件はこっちで手配するから。
それと、又、8月6日の夏祭(笛、太鼓で音頭をとり、数日間、町中を数台の山車が練り歩く、1年で地元が一番盛り上がる祭)に一緒に出て山車を引っ張り、バカ騒ぎをしようぜ・・祭大好きコンビの約束だぞ!」と返事が来た。
Hは、小学5年生から高校卒業する8年間、毎年その夏祭りに参加していた。
夏祭が帰省時で1番楽しみだった。
Hは帰省する1週間前、実家に「8月6日に帰るから」と電話で連絡していた。
8月6日の朝、午前7:30頃。
Hの実家の電話のベルが鳴った。
県警交通課からの電話だった。
県警察:「○○さんのお宅で間違いないでしょうか?(Hさん)という方は御家族の方でしょうか?」
Hの父親:「はい、Hは息子ですが、何か・・?」
県警察:「(Hさん)は本日、午前6:40頃、(県内の)国道○号でバイクの交通事故で亡くなりまして、御連絡を差し上げたのですが・・・」(H、享年18歳11ヶ月)
まさに、晴天の霹靂。
実家の誰もが、Hは「東北新幹線」か「寝台特急あけ○○」で帰って来るのだと思っていた。
家の時間が一瞬にして止まった。
Hの祖父は、その訃報を聞いた時、こう叫んだらしい、「な~ぁ、なんたがぁ・・長生ぎだ~すもんでねなぁ~。おい、さぎにいげばいがったぢゃ」と。
(標準語表記)→「なんで?なんでなんだ?・・長生きなんかするものじゃないな、自分が先に逝ってしまえば良かった(先に墓に入ってしまえば、孫の死に目に会わなくても済んだから)」と言う意味。
Hの祖母は、目頭を抑えたまま膝から崩れ落ち、「うぅ~うぅ~」と声にならない声で泣くだけだった。
Hの葬式が滞りなく営まれた。(葬儀中、若くして逝った青年の遺影の前で、同級生達は瞬きもせず座っていた。)
Hの両親の落胆ぶりは、傍で見ていて気の毒の一言でしかなかった。
父親は仕事から帰ると、仏壇の前で体育座りをして、Hの「遺影」をぼんやりと眺めていた。
母親は勤めていた職場を退職して、「毎日仏前で息子の霊を弔う」と言い出した。
さすがに、母親の兄弟姉妹達は「そんな事をして、H君が喜ぶと思うのか?今は辛いだろうけど・・・彼の分まで一生懸命『長生き』をして、彼の為に出来る事をやってあげるのが一番の手向けじゃないのか。」と諭すように説得した。
長男(Hの兄)は家族、親戚が落胆の中、「なんで、こんな事になったんだろう」と考えていた。
数日が経ち、少しずつ冷静になり、彼は彼なりに考えた。
そして、様々な偶然が重なったのかなぁと思い始めたのだった。
①東京の専門学校の夏休みが8月6日からだった事。(1/365日の確立)
②地元の夏祭(山車を引っ張り、町中を練り歩く)が8月6日だった事。(1/365日の確立)
③(バイトが終わり、直ぐに)バイクで高速道路を徹夜で走ってきた事。(後に知った事実)
④(母方の)爺さんの祥月命日が8月6日だった事。(爺さんも若くしてバイク事故で他界)した。
これも(1/365日の確立)
この4つは、後からの「こじつけ」だと言う人もいたが、この4つの偶然が重なった事故だと彼は思った。
《もしも・・仮に・・》
① 東京の専門学校の夏休みが8月6日からだった事。
もしも、8月5日から夏休みだった場合、4日の夜、バイトが終わり、1晩睡眠を取り、5日の昼から余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
途中、サービスエリアで休憩をとりながら・・。
もしも、8月7日から夏休みだった場合、夏祭は前日(6日)なので、100%参加は無理。
諦めて、後日、(8日以降)、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
② 地元の夏祭が8月6日だった事。
もしも、8月5日が夏祭りだったら、夏休みの始まる前日に参加することは無理なので、諦めて、後日、(6日以降)、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
もしも、8月7日が夏祭りだったら、夏休みの初日(6日)の昼間、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。翌日に祭に参加することは可能なので。
③ (バイトが終わり、直ぐに)バイクで高速道路を徹夜で走ってきた事。
もしも、(夜勤の)バイトをしていなかったら・・・計画的に余裕を持って、高速道路を走って来ただろう。
8月5日の夜、早めに睡眠をとり(例)午後20:00頃に就寝し、翌早朝の午前4:30頃、起床して、余裕を持って高速道路を走って来ただろう。
バイクなら、約8時間で地元に帰省できたはず。(しかし、バイトをしなければバイクの支払いが出来ない、という矛盾が生じるのだが)
これは、若い(18歳)自分の「体力の過信」だったと思う。
「1日くらいの徹夜は大丈夫だ」と思ったに違いない。
夜、暗い高速道路を徹夜で走ってきたのだから、昼間の2倍以上の体力、注意力が必要になったと思われる。
もし、夜中でも仲間2人でツーリングで来たのなら、お互いがお互いを気遣い、休憩を数回取り、話が違っていたのかもしれない。
④ (母方の)爺さんの祥月命日が8月6日だった事。(爺さんも若くしてバイク事故で他界)
これが親戚一同で一番の問題になった。
「なんで、よりにもよって8月6日なんだ!」と嘆きの声が上がった。
一族にとっては、一番あってはならない、最も嫌な偶然である。
爺さんが若くしてバイク事故で他界したのは昭和38年だった、この事実(祥月命日が8月6日)は変えようが無いので、どうにもならないのだが・・・せめて、H本人が「8月6日は・・たしか・・爺さんの命日だ・・」と記憶していれば、「一応、気をつけて運転しよう」と思ったかもしれない。
当時、彼(長男)は「4つの偶然が8月6日に重なり合ってしまった為、起こった惨事(事故)だ。思えば・・この4つの偶然の内、どれか2つ欠けていれば、事故に合わなかった」と言っていた。
今春、運転免許を所得した若葉マークのドライバーの皆さん(バイクのライダーの皆さん達も含みます)、自分の腕(運転技術)を過信せず、若いから大丈夫という(体力)の過信をしないで下さい。
交通事故は自分の不注意《だけ》では起こり難いものです。
自分は、ごく当り前の正常運転をしていても、相手の不注意(相手の悪い偶然)から起こる場合も有ります。
何かの(悪い)偶然が幾重にも重なり合って起こる(現象・結果)が「事故(災難)」だと、今でも思います。
もし、《若くして(交通)事故か何かが起こり、将来が台無しになった場合》、悲しむのは「御両親」なのですから。
ごく一部の例外(病気・天災・特殊な災難等)を除き「子が親に葬式を出させる事」が一番の「親不孝」です。
そして「御長寿の年寄りに、孫(ひ孫)の遺骸を見せる事」は「一族の大罪」である・・・と実感します。
投稿ネーム(ネーハイシーザー)