津山33人殺し事件(八つ墓村のモデル)。

この事件の犯人である都井睦雄(とい・むつお)は、1917年(大正6年)、岡山県の、ある豪農の長男として生まれた。

肺結核が徴兵検査で見つかり兵隊になれず、自暴自棄になり、村の人妻などと夜這いや不倫関係をもち祖母の溺愛によって、散弾銃や刀を集め最後には村民を道連れに自殺した。

全戸数23戸、人口111人の小さな村は、その内の12戸が襲われ、死者は30人(即死28人・重症を負ってまもなく死亡2人)負傷者3人という大惨事となった。
一家全滅は6戸で21人にのぼる。

一説には殺害された住民は、都井のことを噂したり病気発覚後関係を断ったのが標的といわれる。