「大師御廟は撮影禁止だ」と本山を案内してくれた僧侶は言った。

厳粛な佇まいの大師御廟を参拝した後で、ふと裏手が気になった。

覗き込むと無数の石塔ともいえぬような石が寄り添うように無数にある。

本山「これはなんですか?」

案内してくれた僧侶に尋ねると、僧侶はそちらに手を合わせて「修行中に亡くなれた方たちですよ」と教えてくれた。

本山「しかし数が多すぎる。どうして、このような祀られ方をされているのですか」

僧侶「昔は、修行のさなかに気が狂うというようなことがおおかったと聞いております」

詳しく話を聞くと、まだ仏教の実践が試行錯誤の段階であった時代、かの地では高みに登るために中には過激とも思えるような多くの行が行われて、それで精神を壊して狂い死にする人も多くいたらしいということ。

それらの人々は一番に目指した大師のすぐそばのここに名も刻まぬまま埋葬されたことがあったという。

僧侶「修行と言うのは精神の矯正で、いってみれば精神の奇形のようなものを目指すところがあるのかもしれません。盆栽などと同じで、無理に急な力をかけてしまうと、ぽっきりと折れてしまうことがあるのかもしれませんね」

僧侶は、そう言ってふたたび手を合わせた。