じゃ、呼び水代わりに昔見た幻覚の話を一つ。

穂高の奥穂と北穂の間の稜線をやってた時に、雷の直撃を食らったことがある。
知ってる人は知ってるだろうが、森林限界以上の岩場では、雷は上から落ちて来るとは限らない。
真横から水平に岩壁に突き刺さってきたり、下手すると眼下の雲海から頭上の岩頭に飛び上がってくる事がある。

でだ、その時は稜線上は快晴で雨雲一つ無く、雷注意報も出ていなかったんだが、四点支持で岩場をトラバース中に、急にブーンと重低音がして髪が逆立った直後、30メーターほど先の突き出した岩に真横から雷が直撃するのが見えた。

岩に張り付いたまま一瞬意識が飛んだのだと思う、音はほとんど聞こえなかった。

雷はその一回だけで、どこから飛んできたのかよく分からんかったが、稲光りをまともに見てしまったので、視覚が戻るまで暫く時間がかかった。

ようやく暗転した視野の中で光の残像が収束してくると、白い光が雷神像のように浮き出して見えた。
日本画の琳派とかの屏風絵のアレだね。

脳が過去の記臆を元にそういう幻覚を見せたのだと思うが、一般によく広まっているカミナリ様のイメージには、人間の脳の機能上の仕組に何か理由があるんじゃないかとか、ちょっとそんな事を考えてしまった。

そのあと何となく毒気を抜かれたような気分になって、大キレットを縦走せず北穂から涸沢に降りてしまったんだが、それで特に何かあったというわけではない。

しばらく瞼の裏に雷神の残像が焼き付いて消えなかったのでよく覚えている。
おそらく俺が今までで一番怖かった出来事がこれ。