それではお話致します。

あれはもう10年以上も前のことです。

当時、小生は大阪の信太山にある陸上自衛隊にて勤務しており、阪神淡路大震災の時には災害派遣で多くの被災者の方々の救護活動に従事しておりました。

あの地震が発生して2週間ほど経った頃、事態はある程度鎮静化し、救助活動にあたっていた部隊の2/3は駐屯地に戻ってそれぞれの勤務にあたるようにとのこととなりました。

その震災発生後、被災地で亡くなられた方々で他府県の方と判明された遺体は信太山駐屯地にある武道館に一時安置し、後程輸送ヘリにて最寄りの駐屯地に空輸し遺族の方々に引き渡すということをしておりました。

そんなある日。
小生は木曜日から日曜日まで中隊の当直陸士としての勤務が割り当てられました。

そして、土曜日の夜23時前のことです。

「おぅ暁士長、隊員クラブにある自販機でビール買ってきてくれ」

当直幹部に命ぜられ小生は駐屯地内にある隊員クラブまで行きました。
ビールを購入し隊舎に戻ろうとした時、小生はある異変に気付きました。

武道館の方から般若心経が聞こえてくるのです。
普段は無信心の小生にも、すぐに般若心経と判りました。

そういえば、確か昼間に本部管理中隊から被災者の遺体を武道館に安置している為、その勤務に従事していない隊員は近寄らないようにとの連絡があったことを思い出しました。

些か腕に自信のある小生は、くだらない悪戯をする奴がいるものだと思い懲らしめる為に武道館へと向かいましたが、その途中あることに気付きました。

隊員クラブから般若心経の聞こえてくる武道館まで、優に200m以上は離れています。

そんな距離から聞こえてくる音は相当な大音量の筈ですが、武道館にいくら近づいていっても200m以上離れた隊員クラブで聞こえた音量と全く同じ音のボリュームなのです。

武道館の前に着きましたが、隊員クラブで聞こえてきた音量のままです。

こんなことは人為的にまず不可能です。

小生は武道館に辿り着いたは良いものの、武道館には施錠がされており中には入れませんでした。

仕方なく武道館の周囲の窓から中の様子を見ました。

相変わらず般若心経は聞こえてきますが、ラジカセ等のランプが点灯している様子はもちろん人影もありませんでした。

中に入ることも出来ませんし、当直幹部に使いを命ぜられていたこともあり仕方なく小生は隊舎へと戻りました。

隊舎に戻り先程体験したことの顛末をさっそく当直幹部と当直陸曹に話しました。

当直幹部は「明日の朝、本部管理中隊と当直司令に問い合わせてみるので、今夜はもう武道館には近寄らないように」と言われました。
そして明くる朝、当直陸曹が小生に言いました。

陸曹「本部管理中隊に問い合わせてみたが、その時間に武道館には誰もおらん筈だし、ラジカセで般若心経なんて流してないとのことだ」

世の中って不思議なことがあるんですね・・・。