『ガラスの動物園』

テネシー・ウィリアムズの戯曲。
『欲望という名の列車』と並ぶ彼の代表作にして出世作。

1930年代の大恐慌を舞台にした、一つの家族に起きたありふれた悲劇を描く。

家族は、蒸発した父親、母親と娘に息子。
メインキャラは、
・母親は南部の上流階級出身のお嬢様で、トンチンカンなバイタリティーの持ち主。

・娘は24才で美人だけど、繊細過ぎて足に障害があることでコンプレックスをこじらせた挙句、メンをヘルって高校を中退して引きこもりになってしまったニート。

・息子は21才で靴会社の倉庫で社畜をやっているが、隙を見てはトイレで詩を書くという、今でいえばウェブ小説をトイレで更新するみたいなことをするぼっちコミュ障な青年。

三人の関係は、三人は息子の薄給に頼って生きていて、母が昔を忘れられず、悪気なく娘と息子に非現実的で過度な理想=華やかな世俗的成功を押し付け、娘(姉)はそれによって自我とプライドをさらにどんどん粉みじんにしてって、さらに自分の中に閉じこもっていって、息子(弟)はそれに限界を感じていて、罪悪感を感じつつも家族を捨てて逃げ出すことを考えて、こっそり電気代を滞納して資金を貯めている。

ストーリーの流れは以下の通り。

娘、職業訓練校から逃亡したことが母にばれる。
母、息子に会社から娘の結婚相手を探して連れてくることを強要する。
息子、仕方なく超親しい相手ではないけど唯一気兼ねなく雑談してくれるナイスガイを家に食事に招く。

ナイスガイ、ナイスにOKしてくれて、来てくれる予定が立つ。
母、娘を飾り立ててうまいこと嫁入りを画策するためにパートを頑張る。
そうこうするうちナイスガイ、娘の初恋の相手であったことが判明。
ナイスガイが来てくれて、食事を始めたときに停電が発生。

緊張でカチンコチンだった娘、蝋燭の明かりの中でナイスガイと話せるようになる。
ナイスガイは本当にいい人で、娘が劣等感でガチガチになっていることに気づき、娘の独特な感性と、魂の純粋さ、美しさを褒め称えて、世の中の人間なんて誰しも平凡で、君にも誰にも負けないいところはある、それに気づきさえすりゃいい、と言う。

ここまでならよかったんだけど、ちょっと調子に乗ったナイスガイは娘とダンスをして、キスまでしてしまう。
そこで我に返って食事会の目的に気づいて、婚約者がいること、だからもうこの家には来れないことを告げる。

娘、上がったぶん落とされる。
母、婚約者のいる相手を連れてきたことで息子に激おこする。

息子、理不尽に怒られてついに爆発し、姉と母を捨てて家を飛び出して船員になって放浪するようになる。

姉と母の消息はわからないが、不景気の極みなうえに生活力がほぼ皆無な二人を捨てたために、彼女らは悲惨な最期を迎えただろうことが想像される。
息子は家族、とくに仲の良かった姉を捨てた罪悪感に苛まれ続ける。
で、エンド。

こんななんのカタルシスも救いもないありふれた家庭の悲劇をアメリカ人が熱狂的に指示した、ってのが不思議やなあ・・・と思うけど、こんな現代的な病理を日本が「欲しがりません勝つまでは」とか「一億玉砕」とかやってたのと同時期に上演して、熱狂的に支持されたりしてるアメリカがなんかすごい。

で、この話には裏話があって、これは作者(息子)自身の自伝的小説で、家族構成もほぼそのままなんだけど、父親は蒸発はしてなくて、家の経済状態は作品よりはかなりマシなんだけど、その代りかなりの暴君で、娘の短大をやめさせて社交界デビューさせ、上手くいかずに次は職業訓練校につっこみ、息子の大学をやめさせて自分の働いてる会社に就職させたりした。

娘はもうちょっと覇気があってメンをヘルりつつも父親に激しく反発して、そのせいで父親にロボトミー手術をうけさせられて廃人化し、息子である作者は劇作家として成功したけど、姉を救えなかった罪悪感もあって酒とドラッグに溺れて寿命を縮めた、という・・・現実のほうがむしろ劇的だけどこれはこれで後味の悪い話。