私の祖母はいわゆる“視える人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。
そんな祖母から聞いた話。

お盆が近づくと、思い出す話があります。
海から仏さまが帰ってくる、という話です。

私の生まれ育った家は、泳ぐのに最適な浜まで徒歩5分という、外遊び大好きな腕白たちにとっては最高の立地でした。

夏休みになると、毎日のように二人の兄とともに泳ぎに行ったものです。波打ち際で砂を掘ってプールを作ったり、防波堤で貝を採ったり、遊びは飽くことなくいくらでもあり、二学期を迎える頃には全員真っ黒に日焼けしていました。

我が家は遊びに関しては寛容な方で、子どもだけで泳ぎに行くことについて、特に何か言われたことはありません。
それでも、お盆の期間に海に行くことだけは、厳禁でした。

両親「お盆の、特に送りの時期に海に行くことは、絶対にならん」

共働きの両親に代わり、日中の子守りをしてくれていた祖母は、盆前になると口酸っぱくそう言っていました。

「お盆になったらご先祖さまが海から帰ってくるなんち、どうせ迷信やろ」

「お盆過ぎたらクラゲが出てくるけん、海に入れんのやろー」

生意気をいう兄たちをひと睨みし、祖母は毎年同じ話をします。
口では馬鹿にしながらも、兄たちはいつも私と一緒にその話を聞いていました。

祖母「この辺りじゃな、お盆になったら仏さま方は、船に乗って海から帰ってこられる。お盆の時期の海は、あの世と繋がるんよ。他んとこじゃ、馬やら牛やら乗り物を作るところもあるようやけどな」

確かに、我が家でも近所でも、お盆の風物詩である精霊馬を飾っているのは、見たことがありませんでした。
船で帰ってくるのなら、わざわざ乗り物をこちらで用意しなくてもいいのでしょう。

祖母「仏さま方は船に乗って、一斉に帰ってこられるんよ。そして浜に上がったら、まずは自分のお墓に行く。お墓が、仏さまが家に帰るための玄関なんよ。やけん、毎年お盆の前には掃除しちょかないけんのよ」

長兄「ばぁちゃん、見たこともねぇくせに、ようそんなん言えるなぁ」

長兄が呆れたようにつぶやきました。
もうすぐ中学生になる彼にとっては、年寄りの古臭い迷信にすぎないのでしょう。
その割には、身を乗り出すようにして祖母の話を聞いているのですが。

祖母はそんな長兄をチラリと見やり、隣にいる私にしか聞こえないような声で「みえん者には、結局わからん」と呟きました。

祖母がいわゆる“視える人”らしいということは、家族の中では私しか知りません。
近所の人もきっと知らないでしょう。
私は以前ふとした折にそのことを知ってしまったのですが、祖母は自分が“みえる”ことを、誰にも内緒にしているようでした。
その理由はきっと、先ほど呟いた一言に集約されているのでしょう。

次兄「ねーばーちゃん、続きは?」

祖母の怖い話を素直に楽しみにしているらしい次兄に促され、祖母は続きを語ります。

祖母「お盆になったら、仏さまが方が海から帰っちくる。それでも、迎えの時期はいいんよ。仏さまは、自分の家に帰りたいばっかりやけんね。怖いんは、送りの時期や。あんたたち、遊びに行った帰りは、すぐ帰りたくはないやろ?」

私たちは3人揃って大きく頷きました。

祖母「仏さまだってそれは同じや。中には、ずる賢い方もおってな、なんとかこの世に残ろうと考える。そんなとき、どげぇすると思う?」

祖母は私たちに問いかけます。
この続きは毎年聞いて知っているはずなのですが、祖母から聞くとまるで初めての話のように、いつもドキドキしていました。

祖母「お盆の間、仏さま方を送っち来た船は、沖に留まってずっと待っちょる。船には船頭が乗っちょって、行きと帰りで仏さまの数が合っちょるかどうか数えよんのよ。ただ、船頭が数えるんは数だけで、誰が乗るかは気にせんの。だから、それを知っちょる仏さまの中には、自分がこの世に残るために、海で生きちょる者の足を引っ張っち、代わりに乗せようとするのもおる」

長兄「ズルやん」

次兄「ずりー」

兄たち二人が同時につぶやきます。

祖母「仏さまだけやない。船頭だって早よ帰りたいから、なかなか戻ってこん仏さまの代わりに、生きちょる者の足を引っ張っち、数を合わせることもある」

長兄「それっち、職務放棄やね?」

ツッコミを入れる長兄の横で、私はぼんやり考えます。

暗い海に浮かんでいる、ボロボロの小舟。
中には、青白い顔をした無表情の幽霊たちがひしめきあっています。
破れた笠をかぶった船頭が、骨のように細い指で幽霊たちを順番に指していき、数え終わると一つ頷いて、ゆっくり船を漕ぎだします。
最後に数えられた幽霊の顔には、心なしか血の気が残っており、そしてほんの少し悲しそうな表情をしているーーー

「わっ???」

突然の大声に、次兄と私は文字通り飛び上がりました。

振り向くと、ニヤニヤ顔の長兄が立っています。
私たちをビビらせようとしたのです。

すぐさま次兄が立ち上がり、何かわめきながらの追いかけっこが始まりました。
ドタバタと部屋を出て、裸足のまま庭まで降りていきます。

騒がしい兄たちが去ったあと、私はこっそり祖母に尋ねました。

私「おばあちゃんは、その船見たことあるん?」

祖母はゆっくりと首を振りました。

祖母「ばあちゃんは、みたことない。怖いけん、お盆には海に行かんもん」

私「じゃあ、ほんとに船が来ちょんかどうかは、わからんのやない?」

祖母「本当かどうかは、◯◯ちゃんが自分で考えよ。ただ、お盆に海に行ったらいけんのは、ほんと。約束してな」

私「うん」

今度こそ素直に話を聞いた私に、祖母は嬉しそうに笑いました。

祖母「さ、暑いしアイスでも食べようかね。にいちゃんたち呼んどいで」

私「お兄ちゃんたちどっか行ったし、もういいんやない?」

祖母「じゃあ、内緒で食べるかえ?」

私「わーい!」

その日の夜、アイスが2本足りないことを兄たちに問い詰められましたが、祖母も私も「仏さまが食べたんやない?」と知らん顔をしました。

それから3日後、8月16日のことです。
昼食前、読書感想文に四苦八苦してある私の耳に、防災無線が鳴り響きました。

この防災無線は各家庭に配布されており、火事や台風とといった防災情報はもちろん、町内のイベントや休日当番医までお知らせしてくれる優れものなのですが、ときに、行方不明者の情報提供を求めることもありました。

無線から流れてきたのは、海で若者が行方不明になったことと、その情報を求める内容でした。
聞き入る私の横に、いつの間にか二人の兄も並んで立っていました。

放送が終わっても、しばらく無言のままです。
私もそうですが、おそらく兄たちも、つい先日聞いたばかりの祖母の話を思い出していたのでしょう。
その晩、家族で夕食を囲みながら、父が切り出しました。

父「昼間の無線のやつな、夕方あがったらしい」

食事中にふさわしい話ではないと母が顔をしかめましたが、構わず続けます。

父「県外から帰ってきた奴らしくてな。15日の夕方泳ぎに行って、帰ってこんかったらしいが・・・。昔から、盆の時期に海に入ることはならんと言われとるのに、なぁ?」

最後の「なぁ?」は、祖母に向けたものでした。
ですが祖母はそれには応えず、無言のまま食器を下げて自室に引っ込んでしまいました。

いつもなら、センセーショナルな話題に飛びつく兄たちも、今夜は神妙そうな顔をしています。

私は急いで食事を片付けると、「今日はやけにみんな大人しいな」という父の言葉を背中で聞きながら、祖母の部屋へ行きました。
祖母は、隣に私が座ってもしばらく口を開きませんでした。

私「溺れた人、やっぱり足を引っ張られたんかなぁ」

祖母「・・・みえん者は、わからんけん。何を言うても。しょうがないわ」

私「引っ張ったんは、仏さま?船頭さん?」

祖母「それは、わからん。みてないけん」

私「ねぇ、帰らんかった仏さまって、どうなるん?」

そこで初めて、祖母は私を振り向きました。
怒っているような、不安げなような、複雑な顔で。

祖母「悪さをするようになる」

私「わるさ・・・」

祖母の表情に気圧されてか、背中をゾワリと毛虫が這ったような感覚が走ります。
ふと、以前想像したボロボロの小舟の映像が頭に浮かびました。
それを見てか、祖母は少し笑って、私の髪を撫でました。

祖母「◯◯ちゃん、しばらくは**さんちには近づかんことよ」

私「え、なんで?」

祖母「なんでも」

**さんとは、3軒隣のご近所さんです。
話の流れがわからずに戸惑いましたが、なんだかそれ以上は聞けない雰囲気でした。

祖母「・・・みんなが、◯◯ちゃんのごと、ばあちゃんのこと信じてくれたらいいのになぁ」

祖母はそう呟くと、布団を敷き始めました。
もうこの話はおしまい。
背中にそう言われ、私は祖母の部屋を後にします。

**さんの家には同じ年頃の子どももいないし、近づかなくても特に困らないな。
そう素直に思いながら。

毎年お盆になると、この祖母との会話を思い出します。
あの後、**さんの家にはご不幸が続き、飼っていた犬と猫を含めると5体もの仏さまが出たそうです。
長く患っていた末だったり、突発的な事故だったりと関連性はまるでありませんでしたが、あまりに不幸が続いたことで、神社にお祓いをしてもらったのだと、大人たちの噂話で聞きました。

あの時の祖母の『**さんの家に近づくな』という言葉には、今となってはいろいろな憶測が立てられます。
ですが、みえない私には結局、真実はわからないのです。
私にできるのはただ、祖母がそうしたのと同じように、自分の子どもにお盆の決まりごとを伝えることだけです。

暗い海に浮かぶ、仏さまでひしめき合った小舟を想像しながら。