とある海辺の集落で聞いた話。

そこは白砂青松の美しい浜辺を有し、松林の片隅には小さな神社があった。
龍神を祀るというその神社は、入口の鳥居にたいそう立派な名前を掲げてはいるものの、入って見ると非常に小さく古い社があるだけで、神主もいなかった。
しかし、集落の人々には深く信仰されており、親しみを込めて「龍神さま」と呼ばれていた。

龍神さまというだけあって、古くから雨乞い祈願が頻繁に行われてきたそうだ。
社の壁に掲げられた祈願成就のお礼札を見ると、平成の年号になってから行われたものもいくつかあり、なるほど霊験あらたかであることを感じさせた。

つい数十年前までは、雨乞い祈願に加えて奉納相撲も執り行われていたらしい。
ここの龍神というのが女神で、身も蓋もない言い方をすれば、若い男の裸を好むのだそうだ。
そのため、雨乞い祈願の際は女人禁制だったという。

ここまでならよくある話なのだが、一つ変わっていたのは、奉納相撲の優勝者は龍神に婿入りする、ということだった。
しかしそれは、生贄の別名という物騒なものではないし、神に操を捧げるというわけでもない。
龍神の社で一夜を過ごす一晩だけの花婿で、大変名誉なことなのだそうだ。

奉納相撲で優勝すると、身を清めて紋付袴に着替えた後、その夜を一人きりで社で過ごす。
なんとも恐ろしげだが、夜の間に何か起こるということはなく、神の婿という身分になったからには、供え物の酒も食べ物も好きなように口にして良い決まりだった。
おまけに、一夜が明けた後は心身ともに立派な男として女性たちの憧れを一身に受けることになったため、未婚の男たちはこぞってこの奉納相撲に参加したがったそうだ。

こうして、滞りなく祈願が終了するとすぐさま、恵の雨がもたらされたのだという。
ところが、ある年事件が起きた。

その年行われた奉納相撲の優勝者は、なにを間違ったのか決勝まで勝ち残り、うっかり勝ってしまったやせっぽちの若者だった。

大番狂わせに会場は大いに盛り上がったが、当の本人は憂鬱だった。
彼はその軟弱な外見に違わず、たいそう臆病だったのだ。
おまけに下戸のため、酒で恐怖を紛らわすこともできない。
夜の社で、彼は恐怖のため供えものを一切口にすることなく、震えながら一人朝を待ったのだった。

幸い何も起こることなく、彼は空が白み始めるのと同時に外に出て、迎えを待った。
やって来た村役たちの怪訝そうな顔を見て、ようやく異変に気がついたという。

雨乞いの翌日は、朝から曇っていたり早くも降り出しているのが常だった。
それが、その日若者たちの頭上に広がる空は、雲ひとつない晴天だったのだ。

結局三日待っても雨は降らず、村役たちが相談した結果、雨乞いはやり直されることとなった。

今回は参加しないよう命じられたやせっぽちの若者は、いたたまれない思いでいっぱいだった。
唯一の救いは、彼が龍神に粗相をしたのだと、そう糾弾する者は一人もいなかったことだった。

「おおかた、龍神さまはお前を気に入らなかったんだろう。やせっぽちだからなぁ」

そう口を揃えて言ったそうだ。
やり直された奉納相撲では、屈強な青年が優勝し、神の婿として一夜を過ごした。
今度は夜も明けぬうちから、土砂降りの雨が降ったという。

「これが、その頃の写真だよ」

私にその話をしてくれたのば、龍神に振られたというかつての若者だった。
すでに顔に深くシワが刻まれている彼は、古い写真を見せながらさらに語った。

「あの後、僕は神に振られた男として、女性から見向きもされなくなってねぇ。結婚するのに難儀をしたよ。それが今になって、孫たちは『おじいちゃんの若い時はイケメンだった』なんて言う。神さまの心情なんて知りようもないが、人の心なんてコロコロと当てにならないものだよ」

モノクロの写真の中では、某アイドル事務所に所属していてもおかしくないような、スマートな好青年が微笑んでいた。

私はなんとも言えない気持ちで、神と時代とに翻弄された男性を見つめたのだった。