とある知人から聞いた話。

彼女の祖母が、まだ少女だった頃の話だという。
春は名のみの、風の寒いある夕方。
少女は父親から、晩酌の酒を買ってくるよう言いつけられた。
当時は入れ物を持参して、その分だけ酒を入れてもらう方法が一般的だった。
その為、一合徳利とぴったりちょうどの小銭を渡され、少女は歩いて十分ほどの道のりを酒屋へと向かったのだった。

酒屋までの道すがらには、一本の梅の古木があった。
大きな木だったが、年を取ると木も禿げるのか、大きさの割に花も葉も数は少なかった。
しかし毎年、近所のどの梅よりも早く花を咲かせる木だったという。

酒屋からの帰り、こぼさないよう徳利を慎重に抱えながら歩いていると、梅の古木の周辺がなにやら賑やかなのに気がついた。
まだ寒いというのに、何人かが酒盛りを始めたらしい。

つい先ほど通った時は影も形もなかったのに、宴会はすでに出来上がっているかのように賑やかだった。

「おーい」

そのうちの一人が、少女に声をかけた。

「おーい、ちょっと寄っていかんか。お菓子もあるぞ」

お菓子、という言葉に少女の心は動かされ、ちらりと梅の木の方を見た。
宴の参加者は皆笑って少女の方を見ていたが、その中に近所の見知った顔は一人も見つけられなかった。
なんとなく気味の悪さを感じた少女は、首を振って行かないことだけを表すと、そのままその場を離れた。
特に引き止められることもなかったが、少女を追いかけるようにドッと笑いが起きたという。

その後も何事もなく少女は無事に家にたどり着いたが、そこで大変なことに気がついた。
確かに買ったはずの酒がなぜか無くなっており、徳利はすっかり空っぽになっていたのだ。

途方にくれた少女は、こっそり彼女の祖母に泣きついた。
自分でもよくわからないままに経緯を話すと、祖母は心得たように笑いながら、「これでもう一回お使いしておいで」と、少女に小銭を握らせた。
祖母「大丈夫。もうきっと、なにもないから」

よくわからないながらに、先程の宴会にきっと原因があると思っていた少女は、もう一度そこを通って酒屋に行きたくはなかった。
しかし、使いが果たせなかったとバレた時の父親の拳骨の方が、もっと恐ろしい。
少女は泣きべそをかきながら、ついさっき通ったばかりの道を引き返し、酒屋へ走った。

祖母の言う通り、梅の古木の下は先程の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。
そして少女は今度こそ無事に、父親のお使いを果たすことができたという。

彼女「梅の木の下では、春の訪れを寿ぐ宴が行われていたそうです。祖母は運悪くそこに居合わせて、いたずらをされたんでしょうね」

彼女は、祖母の不運の真相をそう語ってくれた。

私「宴を開いていたのは、神様ですか?」

彼女「さあ、それはわかりません。祖母が言うには、皆さん人間に見えたそうですけど」

私「それにしても、おばあさまのおばあさまは、さすが年の功ですね。そういう言い伝えは、昔からあったんでしょうね」

私が感心して言うと、彼女は少し意味ありげに笑った。

彼女「本当か嘘かはわかりませんが、祖母の祖母という人は、不思議なものを見る力があったそうです。小遣い稼ぎに占いなんかをして、当時はよく当たると評判だったそうですよ」

私「はぁ」

彼女「話に出てきた梅の古木は、まだ健在です。ですが私は祖母以外から、その梅の木にまつわる不思議な話を聞いたことは、ありません」

彼女はにっこりと微笑んだ。

私の鼻腔を、幻のように梅の香が通り抜けていった。