『出ると噂の集合住宅』がある。

小さな田舎町にある公営集合住宅で、コンクリート製の三階建。
中央に階段があり六世帯が住めるようになっている。
ただ現在は誰も住んでないらしく、草も伸び放題で外観は廃墟じみているそうだ。
立地は川沿いで湿気が多く日当たりも悪い。
また過疎と老朽化に加え、近場に他の新しい公営受託もある。
その上『幽霊が出る』との噂つき。
住みたくないのも納得できる。

踊り場に出るのは、子供の霊らしい。

平成の初めごろ、三階で一家心中事件が起きた。
生活苦から両親が三人の子供を殺し、後に自分たちも自殺をしたのだ。
その街に住む者なら誰でも一度は耳にしたことのある話。

生前、三人の兄弟は良く住宅の階段で遊んでいたらしい。
噂では兄弟は未だに自分が死んだことが分からず、階段で鬼ごっこをしたり、ジャンケンをしていたり、踊り場で踊ったりしているという。

というわけで、見に行くことにした。

十二月。
大学は冬休み前のことだった。

その日の講義を終え、午後六時頃。
一旦大学近くのぼろアパートに戻り夕飯の仕込みをしてから、愛車のカブに跨り出発した。

本日の目的地である集合住宅までは、約一時間といったところか。
冬至が近いということもあり、すでに陽は落ち辺りは夜。
世間では、怪談話といえば夏というイメージが定着しているが、小さな頃から単騎での心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしてきた身としては、より現場の雰囲気が出るのは冬だと思っている。

生き物の気配も空気の色も抜け、夜が素早くやって来る。
そんな中一人廃墟の中でじっとしていると、寒さとは違う、何とも言えないゾクゾクとした震えが走ることがある。

今背後に居るんじゃないか・・・。

そんな予感が、腹の奥底から湧いてくるのだ。

振り返って何かが居たことは無いが、居そうな気配は夏より強い。
同じ場所でも、夏と冬では明らかに雰囲気が違うのだ。

もし肝を試したいなら冬がいいだろう。
本当に『出る』かどうかは、また別問題だが。

いくつか市や街を越え、目的の町に入った。
中心街は活気があるようだが、少し離れると、山と川と放棄された田畑が目立つ、そんな町だ。

集合住宅は、その町の中心街から川を一つ挟んだ、森を背にした場所に建っていた。
川に架かった橋の袂にカブを停め、そこから歩いて住宅まで向かう。

住宅前には駐車場と屋根つきの駐輪場。
古びた街灯の白い光がそれらをぼんやりと照らしている。
車は無いが、ぼろぼろの原付が一台に自転車が数台置かれていた。

現在、人は住んでいないと聞いているが、どうなのだろうか。

建物を見上げる。
どの部屋も明かりはついていない。
二つある階段の踊り場から、こちらを見下ろせるようになっている。
子供が覗き込んでないかと目を細めてみたが、何も見えない。
住宅入口の郵便受けを覗くと、一軒だけ名字のシールが張られているものがあった。

しかし長いこと回収していないのか古びたチラシの束が刺さりっぱなしになっている。

やはり、住んでいる人は居ないのだろう。

郵便受けの脇、何も張られていない掲示板の隅にスイッチがあったので押してみる。
何度が点滅を繰り返したのち、階段に光が灯った、しばらくその様子を眺めてから、再びスイッチを押して明かりを消す。

やはり、暗い方が雰囲気があって良い。
それに、怪異というのは暗い場所で発生するものだ。

足を踏み外さないよう慎重に、踊り場から差し込んでくる微かな光を頼りに、階段を上る。
一、二階の間の踊り場。
子どもの姿は無い。

二階の両玄関。
玄関やその周辺の金属部分は、青緑色の塗装がまだらに剥げて黒い地金の部分が覗いている。

二階を過ぎさらに上へ。

踊り場。
ここにも、遊んだり踊る子供は居ない。

手摺から外の景色を眺める。
川向こうの街明かり。眺めていると、ここが何かから取り残された場所だという印象を受けた。
それも冬だからだろうか。

改めて三階に向かおうとした時だった。
住宅前の駐車場に、一台の車が入って来た。
車は街灯の近くに停まり、男が一人降りてくる。
もしかして、住人が戻って来たのかとも思ったが、どうもそういった様子でもない。
駐車場に立った男が、何事か話し始めた。
よく見ると、胸の辺りに上げた片手に鈍く光る何かを握っている。

カメラだ。

それが銀色のハンディカメラだと気付いた瞬間、反射的に踊り場の影に身を隠していた。

なるほど、大体合点がいった。
彼はここに肝試しに来たのだ。
自分の状況を説明しつつ撮影している。

冬に一人で肝試しとは、中々良い趣味をしている。
もしくは何かの罰ゲームだろうか。

ぼそりぼそりとしたしゃべり声が、階下、郵便受けの辺りまでやって来た。

ただ、いくら話が合いそうだとはいえ、彼の肝試しの邪魔をするのは気が引ける。
それにこういう場所での人との接触は、極力避けるというのが自分の方針だ。

三階まで上がって来るだろうか。
来るだろう。
なら、どこかでこっそりやり過ごせないか。

踊り場から一階入り口の屋根部分に跳び下りようかとも考えたが、結構な高さに加え、音を立てないのは難しそうだ。

万が一目撃されれば、別の噂の種になりかねない。

さて、どうしたものか。

色々考えつつ辺りを見回していると、三階の両玄関の脇の壁に、ドアノブとは別の取っ手が付いていることに気が付いた。
壁に埋め込むタイプの平べったい取っ手だ。
鍵はついていないように見える。
三階に上り、そっと開いてみる。

思った通り、中にはガスか何かのパイプとバルブ。
また点検用のメーターが据え付けてあった。
パイプの横には、人間一人がぎりぎり収まりそうな空間。
考える間もなく、その隙間に滑り込み扉を閉めた。

その際、猫の悲鳴のような金属音が、夜の廃アパートに微かに響いた。

気付かれただろうか。
しかしやってしまったものは仕方がない。
そのまま息を潜める。

相変わらずぼそりぼそりと喋りながら、足音が上がってくる。
二階に上がった辺りだろうか、その声がはっきりと聞こえるようになった。

「二階には、・・・・・・いません」

男が言った。

「子供の霊は、遊んでいるとか踊っているとか言われてますが、・・・・・・さっきの子供の泣き声は、何なんでしょうか。・・・・・・兄弟げんか、したんでしょうか」

男が笑う。
しかしその声は少し震えていた。
しゃべり続けることで自分を鼓舞しているような。
そうして、先ほどの開閉音はやはり聞かれていたようだ。

「・・・・・・三階に向かいます」

ゆっくりと階段を上る足音。

「仕込みとか、嘘だと思われるでしょうが、・・・・・・カメラを回す前、遠くからこのアパートを見た時、一瞬だけ、電気が点いたんです。・・・・・・そして、駐車場に降りた時、この踊り場に、何かが居た気がしたんです。それは、カメラにも映っているかもしれません」

声が上ずっている。

「・・・・・・そして、子供の泣き声。・・・・・・はっきり撮れました。みなさん、これは仕込みとか、編集では絶対ありません。そんなことはしてません」

声が、泣きそうになっている。

「・・・・・・怖いです」

分かる。
男が三階に上がって来た。

彼は、この扉に気付いて開けるだろうか。
そうなった場合は、覚悟を決めて謝るしかない。

「三階です。事件現場です。・・・・・・誰も、居ません」

声が、はっきりと震えている。

ドアノブを回そうとする音、「・・・・・・ドアも、開きません。表札も、ありません」

怖がりながらも、ちゃんと検証している。

「誰も、居ません」

繰り返した。

「・・・・・・怖いです」

繰り返す。

「こんなに怖い現場は、初めてかもしれません。・・・・・・何かの気配が、濃いです。すぐ傍に、居るみたいです」

狭い場所に無理な体勢で居るので、腰が痛くなってきた。

「誰も、居ません」

三度目。
ただ、少し落ち着いてきたようだ。

「・・・・・・では、みなさんとの約束通り、ここで、踊ります」
いきなり男がそう言った。

踊るそうだ。

しばらく間を置いて、音楽が鳴り始めた。
今年流行った曲だ。
男が無言でステップを踏んでいる。
実際見たわけではないが、何か自棄になってはいないか。

そのままサビまで踊り切り、男の単独コンサートは終わった。

「・・・・・・もしかしたら、子供たちの霊が、一緒に踊ってくれたかもしれません。それを期待して、帰ります」

声に、やりきった感が出ている。

「しかしみなさん、帰るまでが、肝試しです」

口調が若干違う。
決め台詞なのだろうか。
そうして男は、またゆっくりと階段を下りて行った。

数分後、微かな車のエンジン音を確認してから、外に出た。
凝り固まった身体の節々を伸ばしつつ、思う。

なるほど、ああいう肝試しもあるのか。

結局今回も幽霊は見れなかったが、何か気だるくも妙な満足感を感じつつ、子供の霊が出るという集合住宅を後にした。

数日後のこと。
いつもの様にメシをたかりにやって来た隣の部屋のヨシが、「おいお前これ、見つけたぞおい」とテンション高く、妙な動画を見せつけてきた。

「これ、お前が何日か前に行って、遭遇したってヤツじゃね?」

携帯の画面には、見覚えのある建物が映っている。
何でも、少しばかり有名な投稿者の動画で、面白おかしく心霊スポットを紹介するシリーズなのだそうだ。
そうして今回の現場は、『出る』と噂のとある廃集合住宅。
子供の霊で、階段の踊り場で踊っていたりするらしい。

現場に着いて、何故か行きの車内のテンションとはかなり違う、やけに細々とした声で実況が始まる。
そうして男は三階まで上がり、そこで冒頭で宣言した通り、一曲踊りきった。

なるほど、こういう踊りだったのか。
隣で、ヨシがげらげら笑っている。

「・・・・・・編集か?」
「何がよ」

「子供の泣き声が、聞いた音と違う」

笑い声が、ぴたりと止んだ。