子供のころ、実家近くを縄張りにした野良猫がいた。

そいつは近所で有名な化け猫だった。

そいつは見事なアカトラのオス猫だった。
いつも不機嫌そうな顔で長い尻尾をぶんぶんさせながら集落を練り歩く、貫禄たっぷりな猫だった。

この猫は私が生まれる前から、集落に居着いていた。

もともとは集落に住んでいたお婆さんの飼い猫だったという。
お婆さんが亡くなってからは野良猫ライフを謳歌しつつ、時々人にすり寄ってきたりもして上手く集落に溶け込んでいた。

この猫には、いろいろと不思議な逸話があった。

人の言葉がわかる。
親切にすると恩返しに来る。
どんなに厳重に戸締まりしても、不思議とどこかから家に入り込む。
夜になると躍りをおどる。
山で会うと帰り道がわからなくなる。
赤子を会わせると夜泣きが治る、などなど。

特に有名だったのが、失せ物探しだった。

なにかを失くしたときにこの猫に相談すると、それが見つかるというものだ。
他の話については、私はあまり信じていない。
けれどこの失せ物探しについては、本当かもしれないと思っている。
というのも、私はかつてこの猫に妹を見つけてもらったことがあるからだ。

私が高校生の頃だ。
私の妹は私より十も年下だった。
そのせいか同世代の女の子たちより、ずいぶんとませた子供だった。
小学校にあがったあたりからその傾向は強くなって、だんだん周りに馴染めなくなりつつあった。
言えば、いじめられていた。

ある時、妹は山に置き去りにされた。
同級生がかくれんぼと称して身を隠しそのまま置いてきたのだ。

本人たちはちょっとからかったつもりだったのだろう。
なにも初めて行く場所でもない、近所の子供にとっては遊び場のひとつでしかない山だ。
ましてや怪我をさせたわけでも、足場の悪いところに放り出したわけでもない。
だから悪ガキどもも、まさか妹がそのまま行方不明になるなんて、思っても見なかったのだろう。

しかし私の故郷の山というのは、皿に出したプッチンプリンのようにぽっかりと一つあるようなものではない。
林が森に繋がり、森が山に繋がり、その山はまた別の山に繋がっている。
そんな場所だ。

悪ガキどもは山を完全に舐めていたのだ。

妹は夜になっても帰らなかった。
折り悪く季節は初秋。
熊やら猪やらが里近くまで降りてくる季節だった。

騒ぎは一気に大きくなり、警察、消防団、猟友会など、各団体協力のもと山狩りが行われた。
悪ガキどもは親にぶん殴られた顔でうちに謝りに来た。
妹が生きて帰るまで許さんと、家族総出で追い返した。
たまたま居合わせた余田のばあさんが玄関に塩を撒いてくれた。

捜索は一晩中行われたが、妹は見つからなかった。
翌日ぐったりとした我が家にあのアカトラがやって来た。
うちの庭は彼の散歩コースだったのだ。

アカトラは我が家のただならぬ様子を察知したのか、庭先で放心していた母の元にすり寄った。
珍しく、にゃーん、と可愛らしく鳴いたりもした。
母は茫然としたまま、猫になにがあったのか、訥々と話して聞かせた。

ひととおり話を聞いた猫は、にゃーん、と可愛らしく鳴くと、様子を窺っていた私たちのところまでのしのしと寄って来て、にゃーん、とこれまた可愛らしく鳴いて、のしのしと去っていった。

それから数時間後。
ひとしきり休憩もとり、午後から捜索を再開しようと準備をしていた捜索隊のもとに、あのアカトラがやって来た。
ぽろぽろと泣く妹を伴って。

捜索隊は歓喜にわいた。
もちろん知らせを受けた我が家も。

母は安堵と喜びで失神して病院送りになった。
妹もすぐに病院に連れていかれたので、家族の再会は病室だった。

妹曰く。
山のなかで迷ってしまって、さ迷うううちに見知らぬ川に出たのだという。
川幅の広い大きな川でとても深そうなので越えることはできない。
もしや川の流れに沿っていけば戻れるのではと思ったが、すぐに大岩に阻まれて、進めなくなった。
あたりは真っ暗で怖くて、一晩そこで泣いて過ごしたという。

朝になるとなんと見覚えのあるアカトラが藪の中から出て来て、にゃーん、と妙に可愛らしく鳴いて見せた。
さてはと後をついていくと、あんなに迷ったのが嘘のようにあっさりと、見知った道まで出ることが出来たという。

これはやはり猫のおかげかと、我が家はそれからしばらくの間、猫がうちに来るたびにカリカリや魚の切り身などをあげていた。
そのうち本人(本猫?)が見向きもしなくなったので、それからは控えている。

妹は今も元気で、めでたしめでたし・・・と言いたいところだが、わからないことがある。

妹が行き着いたという大きな川。
私の知る限り集落の周りの山にそんな大きな川は存在しない。
一番近くのそれらしい川までは、子供の足で歩いていけるような距離ではない。
妹が行き着いた川は、いったいなんだったのか。

もう1つ。
妹は捜索隊の声どころか、気配すら感じていなかったという。

あの日、捜索隊はかなり広い範囲を大人数で捜索してくれた。
子供の歩ける範囲などとうに越えるほど広い範囲を。
なのに妹は山は恐ろしく静かで、猫と山を降りるまで、人の声も気配もまったく感じなかったという。

最後に、もう1つ。
私が生まれる前から集落に居着いていたアカトラは、いまも生きている。
かなり大雑把に計算しても、二十年をとっく越え、もう三十年近く集落に居着いている計算になる。
もう三十年を越えているかもしれない。

冗談まじりに言われていた「化け猫」という言葉が、最近はもう、現実味を帯びている。

今でも実家に帰ると、長い尻尾をぶんぶんさせながら、庭をのしのしと不機嫌そうな顔で横切るアカトラに会う。

化け猫でもなんでもいいので、長生きしてくれたらいいと思う。