山奥の温泉旅館に泊まった時のことだ。

真夜中、尿意で目が覚めたのでトイレに行くことにした。
用を済ませて廊下を歩いていると『関係者以外立ち入らないで下さい』と書かれた札のある一角を通り過ぎた。

奥の方で明かりが灯っており、そちらから食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。

「厨房かな?」

半分寝惚けた頭をその通路に突っ込んでいると、後から肩を叩かれた。

「駄目ですよ、そちらは従業員専用です」

柔らかい声でそう注意される。

「あ、こりゃどうもすいません!」

慌てて振り向くと、女性が一人立っていた。

服装は間違いなくその旅館の仲居さんのものだったが、その首から上、こちらを見つめるその顔だけが、狐だった。

唖然としている彼の前で仲居さんは頭を下げた。
金色の毛皮の後頭部が見えた。
そしてパッと掻き消すように消えてしまったという。

翌朝、部屋を訪れた女将にこの話をしてみた。

笑われるかと思ったが、まだ若い女将さんはニッコリと笑って、「レアですよ、運が良かったですね」とだけ答えてくれたそうだ。